日本歴史地名大系 「乙立村」の解説 乙立村おつたちむら 島根県:出雲市乙立村[現在地名]出雲市乙立町神戸(かんど)川上流域にあり、北は芦渡(あしわた)村、東は見々具(みみく)村。「出雲国風土記」にみえる余戸(あまりべ)里門立(とたち)村は立久恵(たちくえ)峡の絶壁が門の立つようにそびえるので名付けられ、のち大門立(おおとたち)となり乙立となったという。弘仁年間(八一〇―八二四)乙立と改称したという(郡村誌)。戦国期には戦略上の要地であったと考えられる。永禄五年(一五六二)一一月二三日の熊谷広実宛の毛利元就・同隆元連署知行宛行状(閥閲録)に「須佐高矢倉要害城督申付候、仍須佐五百貫、乙立三拾五貫、古志之内百貫進置候」とみえる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by