朝日日本歴史人物事典 「二条尹房」の解説
二条尹房
生年:明応5(1496)
戦国時代の公家。父は二条尚基。母は家女房。永正12(1515)年内大臣,同15年関白,天文2(1533)年准三后となり翌年関白再任。明応6(1497)年父の死去により2歳で家督を継ぐが,経済的衰微は甚だしく生活は危ぶまれていた。加賀国井家荘(石川県河北郡津幡町)の領家職を巡って長年勧修寺家と争っており,知行回復を図るため本願寺証如に働きかけ,天文5年井家荘へ下向。同10年まで滞在し直務を行う。天文13年には備後に下り,同14年大内義隆の招きで周防に滞在。同20年義隆の臣陶隆房の反乱に遭遇。和睦を斡旋するも通ぜず,次男良豊や三条公頼,持明院基規,小槻伊治らの公家と共に落ち行く途中,陶兵の手により殺害された。<参考文献>福尾猛市郎『大内義隆』
(湯川敏治)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報