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二条尹房 にじょう ただふさ

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

二条尹房 にじょう-ただふさ

1496-1551 戦国時代の公卿(くぎょう)。
明応5年10月12日生まれ。二条尚基(ひさもと)の子。永正(えいしょう)8年従三位。15年関白となる。天文(てんぶん)2年准三宮(じゅさんぐう)。3年ふたたび関白。従一位。14年から周防(すおう)(山口県)の大内義隆をたよる。20年義隆が陶晴賢(すえ-はるかた)に攻められた際まきこまれ,同年8月29日死去。56歳。

出典|講談社
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朝日日本歴史人物事典の解説

二条尹房

没年:天文20.9.1(1551.9.30)
生年:明応5(1496)
戦国時代の公家。父は二条尚基。母は家女房。永正12(1515)年内大臣,同15年関白,天文2(1533)年准三后となり翌年関白再任。明応6(1497)年父の死去により2歳で家督を継ぐが,経済的衰微は甚だしく生活は危ぶまれていた。加賀国井家荘(石川県河北郡津幡町)の領家職を巡って長年勧修寺家と争っており,知行回復を図るため本願寺証如に働きかけ,天文5年井家荘へ下向。同10年まで滞在し直務を行う。天文13年には備後に下り,同14年大内義隆の招きで周防に滞在。同20年義隆の臣陶隆房の反乱に遭遇。和睦を斡旋するも通ぜず,次男良豊や三条公頼,持明院基規,小槻伊治らの公家と共に落ち行く途中,陶兵の手により殺害された。<参考文献>福尾猛市郎『大内義隆』

(湯川敏治)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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