ゲスナー(読み)げすなー(英語表記)Konrad (Conrad) Gesner

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ゲスナー」の意味・わかりやすい解説

ゲスナー
げすなー
Konrad (Conrad) Gesner
(1516―1565)

スイスの医師、博物学者、言語学者。プロテスタントの影響の下に神学古代ヘブライ語の教育を受けたのち、ブリュージュ、パリ、バーゼルの各大学で医学を学び、25歳で学位を取得。その間ローザンヌ大学でギリシア語を教えた。のちにチューリヒで終生医業を続けたが、アルプスアドリア海によく旅をし、博物学の資料収集に努めた。その死は、ブラジルに端を発し、チューリヒに及んだペストによったとされる。業績は多岐にわたる。『万有書誌』Bibliotheca Vniversalis(1545~1555)は当時のラテン語、ギリシア語、ヘブライ語文献に言及し、書誌学の基礎を築いた。また『植物大鑑』Opera botanica2巻(1551~1571)と『動物誌』Historia animalium5巻(1551~1558)は当時の博物学の集大成であり、その刊行は死後にも及び、前者では自ら1500ほどの図を描き、後者では4500ページにわたり動物名を、アルファベット順を原則に配列している。

[大林雅之 2018年6月19日]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ゲスナー」の意味・わかりやすい解説

ゲスナー
Gesner, Conrad

[生]1516.3.26. チューリヒ
[没]1565.12.13. チューリヒ
スイスの博物学者,医者。ストラスブール,パリ,ブールジュで医学を学んだのち,1541年医者の資格を取り,チューリヒで医者をしながらアルプス,アドリア海沿岸など広く旅行して博物学を研究した。古典語にも通じ,ローザンヌ・アカデミーのギリシア語教授を務めたこともあり (1537~40) ,ギリシア語,ラテン語,ヘブライ語の古典に関する『図書解題』 Bibliotheca universalis (1545~55) は古典学者としてのゲスナー名声を高めた。その後,当時の博物的知識の集大成である『動物誌』 Historiae animaliumを刊行した (全5巻。獣,鳥,魚は 1551~56。蛇は没後 1587) 。これは膨大な図版を用いるなど近代的動物学書のさきがけをなすものであったが,記載順にアルファベット配列を採用し,分類の体系化はなされていない。

ゲスナー
Gesner, Johann Matthias

[生]1691.4.9. ロートバイニュルンベルク
[没]1761.8.3. ゲッティンゲン
ドイツの言語学者。 1710年にイェナ大学卒業,ギムナジウムの校長などを経て 34年に新設のゲッティンゲン大学修辞学教授。従前の文法中心の語学教授にあきたらず,会話法を用いた。また内容の理解を重視してギリシア研究の機運を興し,人間の調和的発展を唱えてドイツ新人文主義教育の興隆に貢献した。大学のゼミナール創始者ともいわれている。

ゲスナー
Gesner, Abraham

[生]1797.5.2. ノバスコシア,コーンウォリス
[没]1864.4.29. ハリファックス
カナダの地質学者,発明家。石油蒸留工程の発明者。 1827年ロンドン大学で医学の学位を得たのちカナダに帰り,カナダ各地,特にニューブランズウィックおよびプリンスエドワード島の地理,鉱物を研究,54年以後は原油からの蒸留を工業化。主著『ノバスコシアの地理および鉱物』 (1836) ,『石炭,原油,蒸留石油』 (61) 。

ゲスナー
Gessner, Salomon

[生]1730.4.1. チューリヒ
[没]1788.3.2. チューリヒ
スイスの詩人,画家。最初は文学に専心し,詩人として名をなしたが,絵や版画をよくし,詩と同様に甘美な,風景画が多い。散文の『田園詩集』 Idyllen (1756~72) ,叙事詩『アベルの死』 Der Tod Abels (58) などがあり,みずから挿絵を付した。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報