ドイツの植物学者。ブレスラウ(現、ポーランドのブロツワフ)の彫版工の子として生まれる。プルキンエの援助を受け、プルキンエがプラハ大学転任の際に、製図助手として随行し、その仕事のかたわら1856年にプラハ大学を卒業した。フライブルク大学教授を経て、1868年以来ウュルツブルク大学教授。植物実験生理学の建設者とよばれ、種子の発芽、植物の栄養、温度と成長の関係、重力や光に対する屈性などを、自ら考案した実験装置を用いて調べた。光合成の研究がもっとも著名である。葉緑体中のデンプンが同化作用の産物であること、デンプン形成に光が必要なこと、光の色と光合成の関係などを、ヨード反応や気泡計算法によって確かめた。門下に、ゲーベル、ド・フリース、プフェッファーらがおり、主著として『植物学教科書』(1868)、『植物学史』(1875)、『植物生理学講義』(1882)がある。
[檜木田辰彦]
ドイツの工匠歌人、劇作家。ニュルンベルクの仕立屋の子として生まれる。1509年、ラテン語学校卒業後靴屋に弟子入りし、そのかたわら工匠歌の手ほどきを受ける。5年間のドイツ各地の遍歴を終え、16年に帰郷、19年には結婚して靴屋の親方となり、やがて工匠歌の親方となる。23年、ルターの宗教改革に共感し、これをたたえた詩『ウィッテンベルクの小夜啼(さよな)き鳥』を発表し、詩人としての第一歩を踏み出した。以後、家業の靴づくりに精を出すかたわら、工匠歌の振興に努め、同時に詩作にも励み、73年筆を絶つまでに、工匠歌約4300編、説話詩・笑話詩など約1700編、劇210編の計およそ6200編の作品を書き残している。この間、60年には妻と死別、翌年再婚したが、76年1月19日、5年間の遍歴時代を除き一生を過ごしたニュルンベルクで没した。81歳。ザックスは、このころ台頭し始めた市民階級の旺盛(おうせい)な生活力と精神を代表し、人文主義の精神に基づき、作品を通じて穏健中正な処世訓を説き続けた。なかでも滑稽(こっけい)で教訓的な謝肉祭劇において、その本領がもっとも発揮されており、代表作に『天国の遍歴学生』(1550)、『仔牛(こうし)を孵化(かえ)す』(1551)などがある。ワーグナーの楽劇『ニュルンベルクのマイスタージンガー』(1868初演)は、ザックスの名を長く後世に伝えるものである。
[田中道夫]
『藤代幸一・田中道夫訳『ハンス・ザックス 謝肉祭劇集』全2巻(1979、80・南江堂)』
ドイツ語で書いたユダヤ系女流詩人。ベルリンに生まれる。15歳のときにラーゲルレーブと文通を始め、またこのころより物語の創作などを試みる。1940年ナチス政権下のドイツをスウェーデンに逃れ、その後、死に至るまで主としてストックホルムに住む。重要な仕事としては、ユダヤ人の受難を主題とした『死のすみかにて』(1944~45成立)以下の詩集と『エリ』(1943)以下の劇詩のほか、スウェーデンの現代詩のドイツ語訳がある。66年にはノーベル文学賞を受賞。独特な深化に達したユダヤ思想と斬新(ざんしん)な暗喩(あんゆ)的、象徴的詩法が緊密に結び付いた作風で、人間の苦悩と救済の本源的な姿を形象化し、現代詩の表現領域の拡大に少なからず寄与している。
[田口義弘]
『N・ザックス著、生野幸吉訳『イスラエルの受難』(1968・三修社)』▽『N・ザックス著、パウル・ツェラン著、飯吉光夫訳『往復書簡』(1996・青磁ビブロス)』
ドイツの細菌学者。カトビーツェに生まれ、フライブルク、ブレスラウ、ベルリンの各大学で医学を学び、1900年ライプツィヒ大学を卒業。1920~1936年ハイデルベルク大学教授。免疫学、血清学、化学療法などに関する多くの論文を発表した。とくに1918年ゲオルギーWalter Georgi(1887―1920)と発表した「ザックス‐ゲオルギー反応」とよばれる梅毒血清反応は梅毒の診断に貢献した。
[藤野恒三郎]
ドイツ生まれのアメリカの音楽学者。初め美術史を専攻したがのち音楽学に転じ、国立楽器博物館長、ベルリン大学教授などを務めながら研究に励んだ。1933年ナチスに追われてパリに移り、37年以降アメリカに移住し、アメリカ音楽学会会長など要職を歴任した。楽器学の創始者の一人で、世界の楽器を網羅的・科学的に分類した楽器分類法(ホルンボステルと共作)は今日でも広く使われている。また比較音楽学の初期に独自の文化観に基づく多くの研究を残し、今日の民族音楽学の基礎を築いた。主著に『楽器百科全書』(1913)、『古代世界における音楽の発生』(1943)など。
[川口明子]
中世ドイツの文人。ワーグナーの楽劇《ニュルンベルクのマイスタージンガー》で知られるように,靴屋の親方のかたわら職匠歌人(マイスタージンガー)で,詩を書き劇作もした。ニュルンベルクで生まれ,遍歴時代を除き没するまで同市を離れなかった。ザックスの文名を高めたのは《ウィッテンベルクの小夜啼鳥》(1523)の詩である。羊の群れを迷わす獅子は教皇,その正体を暴く小夜啼鳥はルターのアレゴリーから,彼がルターを礼賛しその福音の教えに従う立場を鮮明にしている。彼は6000を超す膨大な作品を残している。内訳は職匠歌4200編,説話詩1700編を超すが,後者には各種の詩のほか喜劇64,悲劇61,謝肉祭劇85も含まれる。彼はマイスタージンガーとしてもこの世界の頂点に立ったが,本領は《熱い鉄》(1551),《ナイトハルトと菫》(1557),《でか鼻先生》(1559)等の謝肉祭劇にあると言えよう。現に日本でも1927年《馬鹿の療治》(1536),《ひどい煙》(1551)の2作が久保栄訳により築地小劇場で上演されて以来,謝肉祭劇は現在まで脚光を浴びている。この中からも強烈な反カトリックの姿勢がうかがわれる。そのほかおもな作品に悲劇《ルクレティア》(1527),《トリストラントとイゾルデ》(1553),喜劇《ビオランタ》(1545),説話詩《自作詩の総計》(1567),《のらくら天国》(1530),《クラウス・ナル》(1563),散文《聖堂参事会員と靴屋の論争》(1524)等がある。シェークスピアが生まれた12年後に81歳で没した。今日もニュルンベルク市の中心部ザックス広場に記念碑がある。
執筆者:藤代 幸一
ドイツ生れの音楽学者。最初,美術史学を修め,のちに音楽学に転向したが,美術史の様式概念を音楽に適用する試み(《バロック音楽》1919)にとどまらず,舞踊や楽器という視覚的な対象を扱うことを得意とした。ベルリン大学や他の機関で教育・研究に従事したが,ユダヤ人であったため1933年にパリに移り,その後37年にアメリカに移住した。彼は,西洋古典音楽を含めてきわめて該博な知識を備え,それを,《楽器事典》(1913),《楽器の歴史》(1940。邦訳1965-66),《世界舞踊史》(1933。邦訳1972),《リズムとテンポ》(1953。邦訳1980)としてまとめた。彼は個々の楽器や事象については詳細なデータをもちながら,統一的な方法によって分類しようとする傾向が強かった。この点で成功したのは,ホルンボステルとともにマイヨンVictor-Charles Mahillon(1841-1924)の楽器分類を発展させたことであり,彼らの方法は3人の頭文字をとりMHS法の名で現在も広く用いられている。他方,《楽器の精神と生成》(1929)は,楽器を形態的特徴に基づいて年代によって序列化し,地域的な伝播で関係を説明しようとしたものである。人類学における文化圏説の適用と統一的理論の試みとしては興味深いが,成功とはいいがたい。野外調査が今日ほどは行いやすくなかったこともあろうが,ザックスは文化から切り離された音楽の構造的側面に関心をもち,それらの側面の比較の枠組みを《比較音楽学》(1930。邦訳1966)としてまとめた。この新しい学問をドイツとアメリカで講じ,第2次大戦後の民族音楽学への道を準備した功績は大きい。
執筆者:徳丸 吉彦
ドイツのユダヤ系女流詩人。ベルリンに生まれ,のちにナチスの手を逃れて,1940年以降,ストックホルムに住む。その詩語が独自の響きを獲得するのは,この迫害,亡命の体験を経て以後のことである。66年ノーベル文学賞を受賞。ユダヤ民族の運命を主題とするザックスの抒情詩や劇詩は,まぎれもなくその歴史的位相に由来する死と不安の影に脅かされながらも,終始,詩行ののびやかな内的リズムや繊細な暗喩法を失わず,ユダヤ神秘思想にはぐくまれたゆたかな幻想性と相まって,ツェラーンとともに,第2次大戦後ドイツ抒情詩の世界に特異な位置をしめている。詩集《死の棲家にて》(1947),《星の蝕》(1949),《逃走と変容》(1959),《燃える謎》(1964),劇詩《エリ》(1951,邦訳《イスラエルの受難》1970),その他がある。
執筆者:平野 嘉彦
ドイツの医学者。カトビツェに生まれ,フライブルク,ブロッワフ,ベルリンの各大学で医学を修め,1900年ライプチヒ大学を卒業。20-36年ハイデルベルク大学教授。血清学の発展に貢献し,とくに梅毒の血清学的診断法のうち沈降反応を利用したザックス=ゲオルギ反応Sachs-Georgi Reaktion(略称SGR)を創始した。この反応は,補体結合反応を利用したワッセルマン反応と併用されて梅毒の診断を確実にした。
執筆者:本田 一二
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…すべてのもの,身体も魂も外へ広がる。このことからザックスCurt Sachsのような学者は,西洋舞踊のような舞踊を〈ひろがる舞踊〉,日本舞踊のような舞踊を〈閉じられた舞踊〉としている。そして〈ひろがる舞踊〉を男性的,〈閉じられた舞踊〉を女性的とみなし,前者は牧畜民族の踊りであり,後者は農耕民族の踊りである,と考えている。…
…たとえば,ブル・ロアラー,アフリカの親指ピアノ,世界に広く分布するジューズ・ハープ(口琴)などがそれである。このため楽器学や民族音楽学で楽器を分類する場合は,この3分法でなく,通常ホルンボステルとC.ザックスが《楽器分類学》(1914)で提唱したザックス=ホルンボステル法と呼ばれる分類法を用いる。それによると,あらゆる楽器は,まず体鳴楽器idiophones,膜鳴楽器membranophones,弦鳴楽器chordophones,気鳴楽器aerophonesの4種類に分類され,それぞれがさらに細かく分類される。…
…すべてのもの,身体も魂も外へ広がる。このことからザックスCurt Sachsのような学者は,西洋舞踊のような舞踊を〈ひろがる舞踊〉,日本舞踊のような舞踊を〈閉じられた舞踊〉としている。そして〈ひろがる舞踊〉を男性的,〈閉じられた舞踊〉を女性的とみなし,前者は牧畜民族の踊りであり,後者は農耕民族の踊りである,と考えている。…
…両名の共著である《日本人の音組織と音楽に関する研究》(1903)はその顕著な一例である。もう一人の重要な協力者はC.ザックスで,ホルンボステルとの共著《楽器分類法》(1914)は後にグローバルな楽器分類の基礎として広く用いられるようになった。ザックスをはじめ,M.コリンスキ,C.ヘルツォーク,M.F.ブコフツァーら,ベルリンでホルンボステルの同僚,助手,研究協力者だった音楽学者たちは,1930~40年代にかけて新大陸に移住し,以後この学問はアメリカで民族音楽学として隆盛をみる。…
…
[分類]
舞踊の分類には数多くの方法がある。音楽学者であり《世界の舞踊史》を著したC.ザックスは象徴的舞踊と非象徴的舞踊に二分している。象徴的舞踊は,例えば豊作を祈る田植踊に種をまいたり,稲刈りの動作がみられるものであり,非象徴的舞踊はそのような日常の動作を模した動きのないものをいう。…
…スペインではゴンゴラの抒情詩,ポルトガルではカモンイスのソネットと叙事詩が書かれ,イタリアでもタッソやアリオストの叙事詩が相つぐ。ドイツでは,16世紀に栄えた市民文化からマイスタージンガー(工匠歌手)と呼ばれる詩人たちが現れ,その代表者H.ザックスは多数の歌曲や謝肉祭劇をつくった。宗教戦争の中からフランスのドービニェは激越な《悲愴曲》を書き,清教徒の立場からイギリスのミルトンは《失楽園》を書いた。…
…地域的には,まずオーストリア南部に発生し,職人の諸国遍歴とともに広くドイツ語圏にひろまっていったと推定されるが,その中心はなんといってもニュルンベルク地方であり,この地で謝肉祭劇は集大成され,完成期を迎えたと見ることができる。ニュルンベルクにはシンチュウを扱う職人であったといわれるハンス・ローゼンプリュート(?‐1470ころ),理髪師兼外科医であったハンス・フォルツ(?‐1510ころ),靴屋の親方であったハンス・ザックス(1494‐1576)などの作者が時代を追って輩出し,特にザックスはその頂点に位置する存在として知られている。ザックスの天才は,のちのゲーテやJ.グリムによって,大いに賛美されている。…
…ウィーンの宮廷では3月にドナウ河畔に初咲きのスミレを探し,それに挨拶する習慣があった。16世紀のニュルンベルクの職匠詩人H.ザックスは,謝肉祭劇《ナイトハルトとスミレ》にそれを劇化している。ドイツから東ヨーロッパにかけて広がる春迎えの行事にもスミレは春のシンボルとして登場する。…
…ミンネザングの崩壊を決定的に推進したこの不協和音の詩人は,生前からひじょうに有名であったらしく,ナイトハルトという名は,上記のタイプの歌の亜流作品の名称となり,さらに14世紀以降〈ナイトハルト劇Neidhartspiel〉という笑劇Schwankの主人公として,農民の敵役に仕立てられた。16世紀のハンス・ザックスも《ナイトハルトと菫》という笑劇を書いた。【岸谷 敞子】。…
※「ザックス」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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