瀬戸内海西部に広がる海域。西端は北九州市
周防灘は古代から北九州と畿内を結ぶ海上交通の要路として知られ、一方で国際関係の影響を受けることもあった。天智天皇二年(六六三)八月に日本軍が白村江の戦で敗れたのち、同四年八月に
「水路志」によると「北は周防・長門、南は豊後・豊前の海岸に由り、東は姫島・祝島に界し、其西界は則ち下之関海峡」とあり、「防長地名淵鑑」も「周防国上関より長門国下関に至る海灘を云ふ」として前説に従っている。したがって、西は
周防灘は昔から北九州と畿内を結ぶ海上交通の要路であった。それだけに国際関係の影響を受けることが大きかった。例えば、天智天皇二年に日本軍が白村江の戦に敗れた直後、関門海峡に臨む地に築かれた
瀬戸内海最西部の海域をさし、西端は関門海峡を通って
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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