五位堂村(読み)ごいどうむら

日本歴史地名大系 「五位堂村」の解説

五位堂村
ごいどうむら

[現在地名]香芝町大字五位堂

良福寺りようふくじ村東に所在。慶長郷帳には「五位戸村」とみえ村高五七七・八八石。「大和志料」所収の元禄郷帳には「一ニ五井戸ニ作ル」と注記する。江戸初期は幕府領(代官小堀政一)。元和五年(一六一九)以降郡山藩(松平忠明)領となる。享保九年(一七二四)の和州御領郷鑑(柳沢文庫)によると郡山藩の二割半無地高増政策により村高は七二二・三五石となり、反別四〇町五反一畝八歩。家数一四九(本百姓六九、水呑八〇)、人数六一八(男二七九、女三三三、僧六)、医師一、吹屋三、大工二、鍛冶屋一、油屋一、米屋一、紺屋一、酒屋一。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

政府首脳が外国を訪問した際の会談内容や合意事項を記した外交文書。法的拘束力は持たないが,その内容は両国を事実上拘束する。類似のものに共同発表 joint statementがあるが,これはより記録的な...

共同声明の用語解説を読む