五所川原堰
ごしよがわらせき
平川を南津軽郡藤崎町藤崎の白子で取水し、岩木川と十川の中間を北流し、十川を越えて高瀬に至る。天保年間(一八三〇―四四)の水下は湊・長橋・半田・新宮・姥萢・種井・五所川原・田川・喰川・川元・平井・赤堀・柏原・高瀬の一四ヵ村、三七五町三畝九歩であった(津軽平野開拓史)。
貞享年間(一六八四―八八)から数回の開削願が弘前藩へ出され、藩の総元締役武田源左衛門が検分し(津軽興業誌)、元禄二年(一六八九)一〇月から工事が始まり、同四年まで三ヵ年を要した(平山日記)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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