デジタル大辞泉
「田川」の意味・読み・例文・類語
たがわ〔たがは〕【田川】
福岡県北東部の市。筑豊炭田の中心都市として発展。昭和44年(1969)の閉山後はセメント工業が盛ん。人口5.1万(2010)。
た‐がわ〔‐がは〕【田川】
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たがわたがは【田川】
- [ 一 ] 福岡県中東部の地名。遠賀川の中流域にある。明治中期から筑豊炭田最大の炭鉱町として発展。石炭鉱業合理化政策以後は、セメント工業を主力とする鉱工業都市。昭和一八年(一九四三)市制。
- [ 二 ] 福岡県中央部の郡。遠賀川支流の彦山川・中元寺(ちゅうがんじ)川の流域にある。古くは「たかは」といい、鷹羽・高羽・田河とも書かれた。
- [ 三 ] 山形県の西部にあった郡。和銅五年(七一二)ごろ建置。多川・田河とも書いた。明治一一年(一八七八)、東田川・西田川の二郡に分かれた。〔二十巻本和名抄(934頃)〕
た‐がわ‥がは【田川】
- 〘 名詞 〙 田の間を流れる川。水田の用水路。
- [初出の実例]「冬きては田河にたてる水車氷のくさびうちそへてけり〈藤原為家〉」(出典:新撰六帖題和歌(1244頃)一)
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田川
くしだがわ
高見山・国見山などに源を発し、幾多の支流を集めながら川俣谷(飯南郡飯高町)を経、松阪市域を貫流して伊勢湾に注ぐ。延長約八四キロ。南伊勢では宮川に次ぐ。神山付近で二手に分れ、一方は祓川として本流の東を北流し伊勢湾に注ぐ。櫛田川の名は狭義には櫛田町付近より下をさし、源近くは川俣川、津留(多気郡多気町)付近で津留川、相可(多気町)・射和町付近で磯部川などとよばれた。
「延喜式」に「凡斎内親王参入之日、飯野郡櫛田河浮橋者、太神宮司専当其事、令神郡人臨時営作帰京之日亦准此」とあり、斎宮の参入に際し、櫛田川の浮橋の営作は太神宮司の担当であった。
田川
たがわ
日光市七里辺りより発し、今市市を経て宇都宮市内に入り、篠井町・徳次郎町を流れ、市街地東部を南流、河内郡上三川町・南河内村・小山市を縦断し茨城県に入って鬼怒川に注ぐ。長岡町地内で山田川を、今泉町辺りで御用川を、市街地三番町辺りで釜川を合流する。近世には宇都宮明神や城下寺院の普請用材は小袋町河岸から陸揚げされ、水戸方面からの物資は押切町河岸で陸揚げとなった。
田川
あしだがわ
世羅台地の東部、賀茂郡大和町北部に発し、広大な世羅台地の穀倉地帯を形成し、矢多川と宇津戸川の二支流を合わせ、府中市内に入って阿字川と支流中最大の集水面積をもつ御調川を合わせ、同市内目崎・出口の辺りで平地に出て府中盆地を造成。神石高原南部の水を集めて南下する神谷川を芦品郡新市町で合して流れ下り、服部川などを合して福山平野に流出し、瀬戸内海に入る。全長八〇キロ。本支流を合わせた河川数七六、流路延長三九二・七キロ、流域面積八五〇平方キロに及び、県東部の農業・飲料・工業用水などの一大動脈をなしている。
かつては府中盆地に入ると幾筋かに分流し、神辺平野の沃野を形成して福山平野に入っていたが、近世初期、福山藩普請奉行神谷治部によって、府中盆地以南の沖積平野一帯の治水工事が行われたといわれる。
田川
たがわ
塩尻峠付近に源を発して西流し、下西条の北で右折して桔梗ヶ原台地の東を北に流れ、途中東の筑摩山地の西斜面を西流する幾筋かの小河川を合流して松本市の市街地の西北で奈良井川に合流する。
田川の流域は、桔梗ヶ原台地の部分を除けば両岸が水田地帯で、塩尻市では穀倉地帯となっている。特に下西条や桟敷の湿地帯、高出の黒崖東の湿地帯や、吉田・百瀬地区などは付近から弥生式土器や石包丁などが発見され、この地方の水田開発の古さを物語る。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
田川(市)
たがわ
福岡県北東部にある鉱工業都市。1943年(昭和18)伊田(いた)、後藤寺(ごとうじ)の2町が合併して市制施行。1955年猪位金(いいかね)村の大部分を編入。西部は古第三紀層の丘陵、東部は遠賀(おんが)川支流の彦山川(ひこさんがわ)、中元寺川(ちゅうがんじがわ)沿いの沖積低地が開ける盆地で、JR後藤寺線・日田彦山線(ひたひこさんせん)、平成筑豊鉄道伊田線(へいせいちくほうてつどういたせん)・糸田線(いとだせん)・田川線が通じ、国道201号・322号も通じる。1889年(明治22)田川採炭会社により近代的炭鉱開発が始まり、1900年三井鉱山会社に経営が移され、鉄道が開通するにつれて筑豊炭田の中心都市として急速に発達、人口も1955年(昭和30)には10万を超えた。1955年以降、石炭合理化政策で炭鉱閉鎖が相次いで離職者が続出し、1970年の後藤寺炭鉱の閉山を最後に市内から炭鉱の姿が消え、1971年には過疎地域に指定された。産炭地振興の企業誘致として、西部の船尾(ふなお)山を中心とした石灰岩利用のセメント工業や縫製、電気機械、フィルター工業などの工場が進出したが、石炭産業にかわる有力産業とはなっていない。鉱害田が多く、鉱害復旧にあわせて土地改良工事が進んでいる。見どころとして桜の名所丸山(まるやま)公園、筑豊県立自然公園に含まれる岩屋(ごうや)公園、石炭記念公園などがあり、風治八幡(ふうじはちまん)神社の川渡り神幸(しんこう)祭、春日(かすが)神社岩戸神楽(かぐら)と伊加利(いかり)人形芝居は県の無形民俗文化財として有名。なお、春日神社岩戸神楽は豊前神楽の一つとして国の重要無形文化財に指定されている。面積54.55平方キロメートル(境界一部未定)、人口4万6203(2020)。
[石黒正紀]
『『田川市史』全4巻(1974~1979・田川市)』
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田川[市] (たがわ)
福岡県中央部の市。1943年田川郡の後藤寺(ごとうじ),伊田両町が合体,市制,改称。人口5万0605(2010)。遠賀(おんが)川支流の彦山川,中元寺(ちゆうがんじ)川沿いの低地と低い古第三紀層丘陵の広がる盆地に位置し,JR後藤寺線,日田彦山線,平成筑豊鉄道が通じる。明治初期まで寒村であったが,1889年田川採炭株式会社が大炭鉱を開設した。炭鉱は1900年三井鉱山の経営となり,以後筑豊炭田最大の炭鉱に発展し,市は日本有数の炭鉱都市となった。1955年には約20鉱が操業,深さ658.4mの伊加利(いかり)立坑が完成し,人口も10万を超えたが,その後の石炭合理化政策によって炭鉱は70年までにすべて閉山し,人口も激減した。産炭地域振興のためセメント,縫製,タイル,タバコフィルター,金属,電機など多数の企業が誘致されたが,大部分が中小零細規模で,石炭産業に代わる有力産業は育っていない。《炭坑節》で有名な二本煙突や田川市石炭・歴史博物館を中心とする石炭記念公園,川渡り神幸祭で知られる風治(ふうち)八幡神社などがある。
執筆者:土井 仙吉
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田川
たがわ
栃木県中部,日光市東部を源とし,今市扇状地の湧泉水を加え,宇都宮市の中心市街地を流れ,小山市の北東部で鬼怒川に合流する川。全長 78.6km。宇都宮市以南ではしばしば氾濫を起こし,改修,直進化が進んだ。鬼怒川などとともに,栃木県中・南部の水田に灌漑用水を供給。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
田川[市]【たがわ】
福岡県中部の市。1943年市制。遠賀(おんが)川の支流中元寺川,彦山川の盆地と丘陵地を占める。中心市街は明治中期以来の炭鉱町の伊田と後藤寺を主体に筑豊炭田最大の炭鉱都市として繁栄したが,1970年までに全炭鉱が閉山。1991年に完成した白鳥工業団地には50社以上の企業が進出し,自動車部品,食料品,電話機などの工業が行われる。日田彦山線,後藤寺線,平成筑豊鉄道が通じる。風治(ふうち)八幡宮の川渡祭は有名。福岡県立大学がある。54.55km2。5万605人(2010)。
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