朝日日本歴史人物事典 「井上忠右衛門」の解説
井上忠右衛門
江戸初期の土木技術者。土佐藩(高知県)井奉行。土佐の香長平野に物部川の水を入れる山田堰(香美郡土佐山田町)は野中兼山により着工され,寛文4(1664)年完成したが,3分流するため設けた上下2段の堰のうち下段の堰が水流によりしばしば損壊された。上段の堰は水取りのための仮堰で本堰ではなかったので,堰をひとつにし分水をすることとなったが,流れは激しく,それまでの工法では対応できなかった。忠右衛門は縦横1間の枠をつくり,4方へ杭をたてて石を詰める四つ枠の構築によって,長さ325m,幅10m余,高さ1.5mの堰を造り損壊を防いだ。これには松14万本,大石約1110坪を使用したという。四つ枠法は近年まで用いられた。山田堰記録保存調査委員会編『山田堰』
(山本大)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報