八田堰(読み)はたぜき

日本歴史地名大系 「八田堰」の解説

八田堰
はたぜき

[現在地名]伊野町八田

近世初期、八田村から仁淀によど川対岸の大内おおち村に向かって設けられた堰で、その河水は弘岡ひろおか井筋を通じて、下流左岸域を灌漑した(春野町の→弘岡井筋。大堰(土佐州郡志)・弘岡堰(「南海之偉業」皆山集)とも称された。昭和初期にコンクリート化され、現在も残る。

工事は奉行職野中兼山・普請奉行一木権兵衛の指揮下で、慶安元年(一六四八)に開始され、四年後の承応元年(一六五二)に完成した(南路志)。現在は西北方向に直線的に川を横断しているが、もとは西北方向に下流に向かって湾曲していた。規模も時代により若干の差があり、当初は長さ二三〇間、幅二五間(土佐州郡志)、文化年間(一八〇四―一八)頃は長さ二五〇間(南路志)、明治初期には長さ二二八間、幅一〇間三尺、高さ一間四尺(南海之偉業)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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