高知藩(読み)こうちはん

百科事典マイペディア 「高知藩」の意味・わかりやすい解説

高知藩【こうちはん】

土佐(とさ)国を領し,土佐高知藩庁を置いた外様(とざま)藩。土佐藩とも。表高24万2000石,新田開発により明治初年の石高は49万余石。初代藩主は山内一豊。2代山内忠義の時野中兼山藩政の基礎を確立。幕末期,15代山内豊信(容堂)の信を受けた吉田東洋後藤象二郎藩政改革に成功。さらに坂本竜馬らの活動によって,薩摩・長州・肥前の各藩とともに明治維新の主導的役割を果たした。
→関連項目胆振国金剛頂寺薩土盟約志村喬土佐国

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「高知藩」の解説

高知藩
こうちはん

土佐藩とも。土佐国高知(現,高知市)を城地とする外様大藩。関ケ原の戦後改易された長宗我部盛親(ちょうそかべもりちか)にかわり,1601年(慶長6)山内一豊(かずとよ)が遠江国掛川から土佐国浦戸に入封。03年居城を河中(こうち)(のち高智,高知と改称)に移し,以後16代にわたる。藩領は土佐国7郡のうち20万2600石。2代忠義は朱子学者野中兼山を登用し,藩政を確立させた。長宗我部氏遺臣の不満解消と新田開発を目的とする郷士取立てが近世初期から行われたが,山内氏の家臣(上士)との差別は根深く,幕末の政争にも影をおとした。専売品に紙・漆・茶・樟脳(しょうのう)など。1759年(宝暦9)設立の藩校教授(こうじゅ)館は,海南朱子学(南学)を教育の中核とした。宝暦・天明期には専売制の強化や天災により津野山一揆・池川紙一揆などがおこった。幕末期,15代豊信(とよしげ)(容堂)は,吉田東洋を用いて藩政を主導するとともに幕政に参与。公武合体の立場をとって土佐勤王党を弾圧するなど,藩内の政争も続いたが,1867年(慶応3)大政奉還を将軍徳川慶喜(よしのぶ)に進言するにいたる。詰席は大広間支藩中村・高知新田両藩がある。廃藩後は高知県となる。

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デジタル大辞泉プラス 「高知藩」の解説

高知藩

土佐国一国を領有した土佐藩の別称。高知(現:高知県高知市)を本拠地としたことから。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「高知藩」の意味・わかりやすい解説

高知藩
こうちはん

土佐藩

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藩名・旧国名がわかる事典 「高知藩」の解説

こうちはん【高知藩】

土佐藩(とさはん)

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「高知藩」の意味・わかりやすい解説

高知藩
こうちはん

土佐藩」のページをご覧ください。

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世界大百科事典(旧版)内の高知藩の言及

【土佐藩】より

…土佐国(高知県)高知に藩庁を置いた外様大藩。高知藩ともいう。藩主は山内(やまうち)氏で藩祖山内一豊以下16代。…

※「高知藩」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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