日本歴史地名大系 「山田堰」の解説
山田堰
やまだぜき
この堰によって物部川の西岸に
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
この堰によって物部川の西岸に
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出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
出典 日外アソシエーツ「事典 日本の地域遺産」事典 日本の地域遺産について 情報
…他方,豊富な水量は約30の堰からの取水を可能にし,約5万5000haの水田を灌漑している。特に17世紀後半から18世紀前半にかけて難工事の末に完成した大石堰(灌漑面積2247ha),山田堰(698ha),恵利堰(床島用水。1927ha)は三大堰といわれ有名である。…
…町の中心は江戸前期,土佐藩執政野中兼山により開発され,在郷町として発展した山田野地町の地にあたり,物部川上流域や北方長岡郡からの物資の集散地であった。物部川左岸の神母ノ木(いげのき)から右岸小田島にかけて,兼山によって築造され下流域を灌漑した山田堰が今に残る。山地部は雨量が多く良材を産するが,平野部では温暖多雨の気候を生かして施設園芸が盛んで,野菜,タバコ,かんきつ類などを産し,米の二期作も行われている。…
…第2次大戦後,中・上流に永瀬などのダムが建設され,電源開発も進められた。上流からの土砂が堆積した香長平野は,長岡・野市両台地面と扇状地性低地とからなり,台地面は近世,野中兼山が物部川に山田堰をつくり用水をひいて開田化した。国道195号線が谷口部の土佐山田町から川沿いに県境の四ッ足峠トンネルを経て,徳島県那賀川流域に通じる。…
※「山田堰」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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