井口喜源治(読み)イグチ キゲンジ

20世紀日本人名事典 「井口喜源治」の解説

井口 喜源治
イグチ キゲンジ

明治〜昭和期の教育家



生年
明治3年5月2日(1870年)

没年
昭和13(1938)年7月21日

出生地
信濃国(長野県)南安曇郡東穂高村

学歴〔年〕
明治法律学校中退

経歴
松本中在学中にキリスト教入信。松本小学校、東穂高小学校、豊科小学校などの教師を勤め、明治44年研成義塾を創立した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「井口喜源治」の解説

井口喜源治 いぐち-きげんじ

1870-1938 明治-昭和時代前期の教育者
明治3年6月1日生まれ。明治法律学校(現明大)を中退し,郷里の長野県で小学校教員となる。洗礼うけ,明治26年相馬愛蔵らの東穂高禁酒会に入会。芸妓置屋設置反対運動に敗北して教職をさり,31年研成義塾を設立。キリスト教人格主義教育により清沢洌(きよし)らをそだてた。昭和13年7月21日死去。69歳。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の井口喜源治の言及

【清沢洌】より

…長野県生れ。内村鑑三門下の井口喜源治の教える研成義塾に学び,1906年に渡米し苦学してホイットウォース大学を卒業。20年帰国して《中外商業新報》に就職し外事報道関係で活躍,その後27‐29年《東京朝日新聞》企画部次長となる。…

※「井口喜源治」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

プラチナキャリア

年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...

プラチナキャリアの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android