井道村
いみちむら
[現在地名]新城市東新町 井道
新城町の東南、沖野川の南から豊川右岸の河岸の低位段丘上にある。中世は平井郷の内であったようで、天正初期には黄金原とよばれたという(新城町誌)。天正四年(一五七六)新城城・新城村ができてから開拓が進められた。慶長五年(一六〇〇)幕府領となり、代官として菅沼伊賀守三照の支配下となった。菅沼伊賀守は当村の東、字内井道南の城口と称する所に陣屋を構えたという。翌六年からは鳥山牛之助代官となり、代官所も牛久保陣屋(現豊川市)に移った。
慶長九年の検地帳では、田二反余・三石余、畑五町三反余・五四石余、屋敷二を合わせ高五八石余で、名請人三七名である。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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