享保用水路
きようほうようすいろ
えびの市大河平の川内川に水源をもち、南西流して原田に入って国道二二一号を横切り南西に流れ、原田字大平落に至って仲伍塚水路に入る用水路。享保新田溝ともよばれる(日向地誌)。現在の水源はフランス山暴動事件が起きた東洋製材所飯野支店(現立石林業)から約二〇〇メートル上流に位置するが、かつては川内川上流の狗留孫川東岸の石床堰より取水していた(同書)。用水路開削の推進者は端山寺一五代住持秀有(元文元年没)で、享保一四年(一七二九)頃藩許を得て開始したと伝える。用水路の総延長六八〇六メートル、水路の幅は平均二・一メートル、トンネル五ヵ所を掘削しなければならない一大工事であった(えびの市史)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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