大河平村(読み)おこびらむら

日本歴史地名大系 「大河平村」の解説

大河平村
おこびらむら

[現在地名]えびの市大河平

杉水流すぎづる村の東にあり、南は北西方きたにしかた(現小林市)、北は肥後球磨くま郡。同国との境付近に発し南流、さらに西へ流れる川内せんだい川の最上流部にあって、深山幽谷の地。大川平とも記される。肥後へ向かう街道の一本狗留孫くるそん越が北上し、狗留孫寺(端山寺)狗留孫山くるそんやま権現(現羽山積神社)を経て国境を越え、川内川の上流に沿って北上し、肥後人吉へ至る。かつては修験者の往来する信仰の道でもあり、また人吉藩領へ通じる軍事的要路でもあって辺路番所が置かれた(要用集)一説には狗留孫山権現そのものが番所(狗留孫番所)であったともいわれる(えびの市史)

日向国飯野いいの大河平に住していた肥後菊池氏の流れをくむ隆屋(本姓八代)は初め北原氏に属していたが、永禄年中(一五五八―七〇)北原氏が島津忠平(義弘)に降ったのに伴って島津氏の支配下に入った。このとき本姓の八代を捨て大河平を称し、忠平から相良・伊東両氏に備えるため大河平を居住地とするよう命じられた。同氏の居所は大河平城ともよばれ、隆屋死後の永禄五年には伊東氏の攻撃を受けたが隆屋の孫隆利はこれを退け、鍋・灰塚はいつか榎田えのきだの三ヵ所を島津氏から与えられた。また大河平城対岸に今城を築き大河平隆利が拠った。だが同七年五月晦日、飯野へ向かう途中の伊東義祐は「枯松之尾」に陣を置き、大軍をもって今城を攻撃、同城は攻略され当主隆次(隆利養子)一族のほとんどが戦死した(「大河平家系図」大河平家文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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