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京極院 きょうごくいん

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

京極院 きょうごくいん

1245-1272 鎌倉時代,亀山(かめやま)天皇の皇后。
寛元3年生まれ。父は左大臣洞院実雄(とういん-さねお),母は藤原栄子。文応元年亀山天皇の大嘗会御禊(だいじょうえごけい)で女御代(にょうごだい)をつとめ,翌年中宮,ついで皇后となる。世仁(よひと)親王(後宇多天皇)ら2男1女を生んだ。文永9年8月9日死去。28歳。名は佶子(きつし)。

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朝日日本歴史人物事典の解説

京極院

没年:文永9.8.9(1272.9.2)
生年:寛元3(1245)
鎌倉中期の皇族。亀山天皇の皇后。名は藤原佶子。父は左大臣洞院実雄,母は法印公審の娘の従二位栄子。文応1(1260)年,亀山天皇の大嘗会御禊に女御代(臨時に女御の代わりをする女性)として奉仕,次いで女御となる。弘長1(1261)年中宮となり,同年皇后。後宇多天皇の母。没した日に京極院の院号宣下。

(本郷和人)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典内の京極院の言及

【洞院家】より

…藤原氏北家閑院流の西園寺公経の男左大臣実雄(1217‐74)を始祖とする堂上公家。実雄の女のうち,佶子は亀山天皇の皇后として後宇多天皇を生んで京極院の院号を受け,愔子は後深草天皇の後宮に入って伏見天皇を生み玄輝門院の院号を受け,季子も伏見天皇の後宮に入って花園天皇を生み顕親門院の院号を受けるなど,大覚寺・持明院両皇統の国母を出したため,実雄をはじめ歴代が大臣に任ぜられる家柄となり,また実雄の男公雄が小倉家を,2代公守の男実明が正親町(おおぎまち)家を起こすなど庶流も分立し,家に多くの典籍を蓄え,博識の人も多く出た。中でも4代公賢(きんかた)は学殖もあり,《皇代暦》《歴代最要鈔》などの著作があり,《拾芥抄》もその著作といわれ,また南北朝初期の重要資料である日記《園太暦》の記主で,北朝の重鎮であった。…

【女院】より

…以上のごとく女院号宣下にはさまざまな形態を生じたが,資格の点から大別すると,天皇の母后(国母)で后位にある場合,国母でないが后位にある場合,国母でないが准后宣下を被っている内親王の場合,国母であるが出自が低いなどの理由で立后されなかったが,准后宣下を被っている場合の4形式に分けられる。 院号宣下の時期は,東三条院や上東門院のごとく出家に当たって宣下された例もあるが,以後は必ずしも特定されず,没日に〈御存生之儀〉をもって院号を下された京極院(亀山天皇皇后)や後京極院(後醍醐天皇皇后。2度院号宣下を被った人で,礼成門院ともいう)などの例,また没後院号を追贈された新崇賢門院(東山天皇の後宮)や新皇嘉門院(仁孝天皇の後宮)の例もある。…

※「京極院」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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