日本大百科全書(ニッポニカ) 「チマブーエ」の意味・わかりやすい解説
チマブーエ
ちまぶーえ
Giovanni Cimabue
(1240/45―1302?)
イタリアの画家。本名Cenni di Pepo。1272年から1302年にかけて記録が残るが、生没年はさだかでなく、1240年から45年にフィレンツェで生まれ、1302年初め(あるいは1301年末)にピサで死亡したと思われる。伝統的にジョットの師と考えられ、ルネサンス美術への道を開いた13世紀末のイタリア絵画の先達として大きな役割を果たした。その作風は、基本的にはビザンティン様式にとどまっているが、堂々たる人物の表現、現実感をもって迫る劇的効果、そして人間的情感の表現など多くの点で、ジョットを筆頭とする14世紀の真に革新的な絵画につながっている。その活動は、アレッツォのサン・ドメニコ聖堂の『キリストの磔刑(たっけい)』、アッシジのサン・フランチェスコ聖堂の壁画群、フィレンツェのサンタ・トリニタ聖堂の『荘厳の聖母』(現在ウフィツィ美術館蔵)とサンタ・クローチェ聖堂の『キリストの磔刑』、そしてピサ大聖堂内のモザイクの一部『福音(ふくいん)書家ヨハネ』などに及ぶ。ダンテが『神曲』(煉獄(れんごく)編Ⅺ)でジョットとともに彼に言及していることからも察せられるように、彼は生前から多大な名声を得、後世フィレンツェ派の祖というにふさわしい、高貴な出身の誇り高い画家として伝説化された。
[石鍋真澄]