日本歴史地名大系 「京橋四丁目」の解説 京橋四丁目きようばしよんちようめ 大阪府:大阪市東区京橋四丁目[現在地名]東区京橋二―三丁目京橋三丁目の西に続く大川筋浜通に面した竪町で、浜に八軒家(はちけんや)船着場があるので八軒家と通称された(摂陽見聞筆拍子)。町名は明暦元年(一六五五)の大坂三郷町絵図にみえる。船着場を挟んで南へ高蔵(たかくら)筋と御祓(おはらい)筋が延び、高蔵筋は内淡路(うちあわじ)町まで南下する(延享版「難波丸綱目」)。その西側の御祓筋の名称については、この道が熊野街道にあたり、天皇の熊野詣の際御祓をしたことにちなむとの説や、豊臣秀吉が京都から聚楽第(じゆらくだい)を上町(うえまち)に移して以後、毎年六月の住吉社(現住吉区)の御祓のときに堺・大坂の町々より出す練物挑灯は、必ず第の表通りを通らせたことによるとする説(摂陽奇観)がある。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by