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熊野詣 くまのもうで

百科事典マイペディアの解説

熊野詣【くまのもうで】

熊野信仰に基づき,熊野三山参詣(さんけい)すること。朝廷では宇多(うだ)法皇〜亀山上皇までおよそ100回,特に後白河の34回,後鳥羽の28回の御幸(ごこう)が有名。
→関連項目王子信仰紀伊国近木荘白河天皇

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世界大百科事典 第2版の解説

くまのもうで【熊野詣】

紀伊国(和歌山県)の本宮,新宮,那智の熊野三山に参詣すること。907年(延喜7)の宇多法皇,991年(正暦2)の花山法皇などにはじまり,とくに院政期の白河から後鳥羽上皇までの約100年間には97回もの上(法)皇の御幸があった。熊野への路には紀(伊)路と伊勢路の二つがあったが,いずれも難路であった。このため参詣の道者を案内する先達(せんだつ)が活躍した。紀路の道筋には徭宮としての王子社が平安時代からみられ,1201年(建仁1)にはその数61社に及んだ。

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世界大百科事典内の熊野詣の言及

【王子信仰】より

…神が貴い児童の姿で顕現するという信仰。多くは古来の大社の内部に神が分出し,親子または主人と眷属(けんぞく)との関係に見たてられるため,若宮信仰と共通する点も多い。こうした現象が起こるのは,信仰の固定化を破って,あらたに巫女の活動が生じ,時人を覚醒させる託宣が下されたことを意味する。これが早くかつ顕著に現れた例は,熊野三所権現の場合であり,平安末期には代表的な形である五所王子(若王子,禅師宮,聖宮,児宮,子守宮)の名がみられた。…

【紀伊国】より

…同じころから,これらの寺社領をはじめ多数の荘園が設立された。【薗田 香融】
【中世】

[熊野詣・高野詣の盛行]
 院政期になると,上皇・女院および貴族による熊野三山あるいは高野山への参詣が,前代とは比較にならないほど盛んになった。とくに上皇の熊野参詣は回数が多く,後白河上皇は34回にも及び,後鳥羽上皇は平均10ヵ月に1度という頻度である。…

※「熊野詣」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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