改訂新版 世界大百科事典 「中川氏」の意味・わかりやすい解説
中川氏 (なかがわうじ)
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
中川清秀に始まり、豊後国大野・直入(なおいり)・大分の3郡で7万石(はじめ6万6000石)を領し、岡城に拠り、竹田を城下とした外様大名。1593年(文禄2)豊臣秀吉によって中川秀成(ひでしげ)が配され、廃藩置県まで13代にわたって領有す。豊後の絵図元として、臼杵藩稲葉氏とともに幕府の命による国絵図を作成する。三代藩主中川久清は「中興の栄主」と称され、藩政の基礎を作った。1811年(文化8)・12年の文化一揆は豊後・豊前の諸藩領に波及した。
[豊田寛三]
『朝尾直弘・佐々木丞平・豊田寛三編著『三宅山御鹿狩絵巻』(1994・京都大学学術出版会)』▽『竹田市教育委員会編『中川氏御年譜』(2007・竹田市)』
敵を欺くために、自分の身や味方を苦しめてまで行うはかりごと。また、苦しまぎれに考え出した手立て。苦肉の謀はかりごと。「苦肉の策を講じる」...