京都定火消屋敷跡(読み)きようとじようびけしやしきあと

日本歴史地名大系 「京都定火消屋敷跡」の解説

京都定火消屋敷跡
きようとじようびけしやしきあと

[現在地名]中京区末丸町

町内の土手町どてまち通の東側(旧丸屋町)にあり、宝永六年(一七〇九)から享保六年(一七二一)の間、京都定火消屋敷がおかれた。

京都火消は元禄三年(一六九〇)に設けられたが、宝永三年より所司代松平紀伊守信庸の兼役となっていた。宝永五年三月八日の京都大火後、翌年改めて定火消がおかれ、織田内匠が任じられた。その後、京都定火消は、畿内近国大名が一名、半年交代で任にあたった。宝永六年九月、定火消に任ぜられた松平美濃守が、この地に火消屋敷をおき、家臣ともに屋敷に詰め、京都市中の火消にあたった(京都御役所向大概覚書・京都河原町丸屋町古記録)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

新暦の 4月後半から 5月の,梅雨前に日本列島が大きな移動性高気圧に覆われたときの晴天。発現期間は短い。もともとは旧暦 5月が梅雨にあたることから,梅雨の晴れ間の意味で,梅雨晴れ(つゆばれ)とも呼ばれ...

五月晴れの用語解説を読む