城の南東に位置し、
寛永末年頃の津軽弘前城之絵図(櫛引元三氏蔵)には、町屋として町割され、一七三軒の町屋がある。慶安二年(一六四九)の弘前古御絵図(市立弘前図書館蔵)によれば、町名は記されないが六四軒の町屋が並び、職種は大工・鍛冶屋・桶屋・銀屋・室屋・居鯖など、商家では大坂屋・輪嶋屋・江戸屋など屋号のあるものが多く、ほかに煙草屋・酒屋など商工入交じりの町を形成。町内北側の小路には「かわら屋」が二軒あり、のちの
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...