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鷹司家 たかつかさけ

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

鷹司家
たかつかさけ

藤原氏の一支流。五摂家の一つ。鎌倉時代,近衛実家の第4子兼平に始った。代々摂政関白となる者が多く,明治になって公爵。 (→摂家 )

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百科事典マイペディアの解説

鷹司家【たかつかさけ】

藤原氏北家(ほっけ)の嫡流,五摂家(ごせっけ)の一つ。近衛(このえ)家実の子兼平(かねひら)を祖とし,その邸が鷹司室町(むろまち)にあったので鷹司を家名とした。
→関連項目石黒荘浮田荘椋橋荘

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世界大百科事典 第2版の解説

たかつかさけ【鷹司家】

藤原氏北家の嫡流,五摂家の一つ。近衛家実の四男兼平を始祖とし,家号は兼平の殿第が鷹司室町にあったのに由来するが,また楊梅小路に面した猪隈殿をも伝領したため,楊梅の称もある。鎌倉時代の初めから近衛・九条両家の対立が激しくなったが,承久の乱後,九条道家とその3人の子が相ついで摂関の地位を占め,九条家の全盛をほこった。しかし1246年(寛元4)に起きた前将軍藤原頼経(道家の男),名越(北条)光時らの謀反陰謀事件により,道家とその男摂政実経が失脚し,近衛兼経が摂政に再任されて,近衛家の得意時代を迎えた。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

鷹司家
たかつかさけ

藤原氏北家(ほっけ)嫡流。五摂家の一つ。鎌倉中期の近衛家実(このえいえざね)の四男兼平(かねひら)を祖とする。兼平は1252年(建長4)兄近衛兼経(かねつね)の後を受けて摂政(せっしょう)、ついで関白(かんぱく)となった。以後子孫も他の摂関家と並んで、交互に摂政・関白に任ぜられるようになり、摂関家としての家格も定まり、家領もできて一家が成立した。五摂家のなかでは最後の成立である。家名は、兼平の邸が京都鷹司室町(むろまち)にあったところから称された。室町末期、12代忠冬(ただふゆ)のあと嗣子(しし)がなく、約30年中絶していたが、1579年(天正7)織田信長の口添えで、同じ五摂家の二条晴良(はるよし)の三男信房(のぶふさ)が鷹司家を継いで再興した。江戸中期、基輝(もとてる)のあとも後嗣に欠け、閑院宮直仁親王(かんいんのみやなおひとしんのう)の皇子を迎えて輔平(すけひら)と名づけ継がせた。幕末、政通(まさみち)・輔煕(すけひろ)父子は開国前後の公武の多難な時期に摂政・関白となり活躍した。江戸時代、知行高(ちぎょうだか)は初め1000石、のちに1500石となった。明治維新後、華族となり公爵を授けられた。輔煕の孫煕通(ひろみち)は大正天皇の侍従長を務めた。家蔵の書籍、文書も多く、そのほとんどは政通の手によって整理され、また欠を補われている。蔵書にはたいがい「鷹司城南館」の蔵書印が捺(お)されており、明治維新後あげて明治天皇に献上され、現在は宮内庁書陵部にある。[飯倉晴武]

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