人体の構造 (じんたいのこうぞう)
ベサリウスが著した実証的人体解剖書。中世の神学的教条主義から脱して,自然と人間を新しい目でみつめようとするルネサンス期の思潮のもとで生まれた。全題名は《人体の構造に関する七つの本De corporis humani fabrica libriseptem》といい,略して《ファブリカFabrica》ともいわれる。1543年刊。イタリアのパドバ大学解剖学・外科学教授ベサリウスが,画家カルカールJ.S.Calcar(1499-1546か50)の協力を得て芸術と科学を統一した見事な解剖図版を収めた本書は,(1)骨および関節,(2)筋肉,(3)血管系,(4)神経,(5)腹部諸器官,(6)心臓および肺,(7)脳の7部からなる系統解剖学書で,それまで信奉され正統とされてきたガレノス解剖学を大幅に訂正する所見が数多くみられる。そのため,伝統を固執する当時の正統派医学者の猛反撃にあい,異端者としてベサリウスの地位を危うくする結果を招いた。しかし,ベサリウス自身はガレノスの目的論的思考から脱皮できていなかったし,その疾病観は中世的一元論にとどまっていたので,本書は生物学に正確な知識と方法を提供するものではあっても,当時の医学を革新する役割を演ずるまでには至らなかった。
執筆者:宗田 一
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
世界大百科事典(旧版)内の人体の構造の言及
【医学】より
…このような芸術家たちよりややおくれて,ベルギー生れで解剖学に並はずれた関心と熱意をもってとりくんだ[A.ベサリウス]が登場した。彼は経験にもとづいて《[人体の構造]》(《デ・ファブリカ》とも略される。1543)を刊行した。…
【解剖学】より
… このような時代的背景のなかに,近世解剖学の祖である[A.ベサリウス]が出現する。パドバ大学教授のベサリウスはみずからの手で解剖しガレノス以来の誤り約200を正し,ティツィアーノの弟子である画家カルカールGiovanni da Carcarに描かせた詳細な図の入った《[人体の構造]》(1543)を出版する。本書は《ファブリカ》と略称され,近世解剖学の初めをかざる,そして後世に長く影響を残した大著であった。…
【解剖図】より
…解剖学の革新はパドバ大学の[A.ベサリウス]によってなされた。コペルニクスの遺著と同じ1543年に刊行された彼の《人体の構造》は700ページ余のフォリオ版で,[ベネチア派]の画家たちによる数多い精密な木版画が挿入されており,内容,挿図ともに以後の解剖書に大きな影響を与えた。18世紀後半に江戸で刊行される《解体新書》中の挿図にもベサリウス本に基づくものが数図見いだされるほどである。…
【数学】より
…M.ルターが宗教改革を開始したのは1517年であった。43年は,N.コペルニクスの《天球の回転について》とA.ベサリウスの《人体の構造》が発表された年である。それぞれ近代的な天文学,解剖学の出発点となったものであるが,数学に関係するのはとくに前者である。…
【髑髏】より
…デューラー,ホルバイン兄弟らが好んでどくろや骸骨を描いたのは15世紀末以降のことである。また,解剖学者ベサリウスの《人体の構造》にある,机上のどくろに触れて黙想する骸骨の絵は,シェークスピアに影響を与えて,ハムレットがどくろを手にして独白する場面の基になったとされる。さらに,《ハムレット》と同じころのS.ターナーの戯曲《復讐者の悲劇》は毒殺された恋人のどくろを使って犯人の公爵に復讐する物語で,死の象徴としてのどくろが主役である。…
【ベサリウス】より
…32歳で同大学の解剖学と外科の教授に抜擢(ばつてき)され,人体解剖や動物実験によって,それまで金科玉条とされたガレノスの学説を立て直し,近代的系統解剖学の体系を樹立し,ベネチアの有名な画家ティツィアーノの弟子カルカルJan Stephan van Calcar(1499ころ‐1545以後)と知りあい,解剖図作成を依頼した。1543年《[人体の構造]De corporis humani fabrica libri septum》(略称《ファブリカ》)をバーゼルのオポリヌス書店から発行した。大型フォリオ判,本文600ページ,付図300以上ある。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」