日本大百科全書(ニッポニカ) 「ガレノス」の意味・わかりやすい解説
ガレノス
がれのす
Claudius Galēnos
(129ころ―199ころ)
ギリシアの医学者。小アジアのペルガモンの生まれ。父ニコンAelius Niconは建築家で、数学、自然科学、哲学の素養があり、ガレノスの教育にあたった。17歳のころから医学の勉強を始め、スミルナ、コリント、アレクサンドリアなどの各地に遊学して医学に関する見聞を広めた。28歳で故郷に帰り、診療の実際に従った。6年後ローマに出て、短期間のうちに名医の評判をあげ、ローマの学者、高官たちと親交を結んだが、反面、反感を買ったこともあって、166年ローマを退去してペルガモンに帰った。のち、ローマ皇帝マルクス・アウレリウス(在位161~180)の遠征軍に参加、ローマに帰還してからは王子コンモドゥスの侍医となり、主として著述に努めた。その著作は医学に関するもののほかに、哲学、文法、数学にまでわたるが、なかでも解剖学、生理学に関しては卓見が多い。
生理学上の実験を数多く行い、動物解剖を頻繁に行って、人体の働きや構造について優れた考えを示した。それは医学に一定の科学的基礎を与え、以来、中世を経て近世初期に至るまでの約14世紀に及ぶ長期間、ヨーロッパの医学に覇を唱えた。しかしこれは時代的背景によることも大きく、ガレノスの所説がすべて正しかったからではない。たとえば、ガレノスは人体解剖を試みたことはなく、したがって、それに基づく生理学説、なかでも血液の生成・流れと精気pneumaの問題に関する誤った学説は一般に信じ込まれていたが、17世紀にハーベーの血液循環説によって打倒されたごときである。
[大鳥蘭三郎]