日本歴史地名大系 「人母村」の解説 人母村ひとぼむら 富山県:西礪波郡福光町人母村[現在地名]福光町人母、小矢部(おやべ)市人母北東流する渋江(しぶえ)川沿いの山間にある。村名は「ひとう」ともよぶ。小原(おはら)越が北西の内山(うちやま)村(現小矢部市)へと通る。永禄一二年(一五六九)一一月一五日の神保長職宛行状(志賀槙太郎所蔵文書)に「ひとう」とみえ、二宮余五郎に神保宗五郎知行のうちの同所と松永(まつなが)(現小矢部市)が与えられた。元和五年(一六一九)の家高新帳には「ふとふ」とみえ、役家数四、かんた総左衛門組に属した。正保郷帳では高一四二石余、田方六町三反余・畑方三町一反余。寛文一〇年(一六七〇)の村御印では草高一八二石、免六ツ、小物成は山役一二六匁・蝋役一匁。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by