人見城民(読み)ヒトミ ジョウミン

20世紀日本人名事典 「人見城民」の解説

人見 城民
ヒトミ ジョウミン

大正・昭和期の漆芸日光堆朱の伝承者。



生年
明治27(1894)年1月2日

没年
昭和47(1972)年10月4日

出生地
栃木県下都賀郡壬生町

本名
人見 与四郎

別名
別号=笑友

主な受賞名〔年〕
栃木県文化功労者〔昭和35年〕

経歴
小学校卒業後、日光の工芸家上野桐恵の弟子となり、約16年に渡って日光彫刻と漆芸を修業。その後、独立して東京平和大博覧会や共進会などで作品を発表。また、大正期には皇室献上品も手がけた。大正9年頃、浮き彫りの上に顔料を混入した漆をほどこす「日光堆朱」の技法を編み出し、昭和13年商工省監察官から技術保存のための工芸品制作を許可された。戦後は栃木県芸術祭の委員を務めながら、日本伝統工芸展・日本工芸新作展などで活躍。作品に「薬草図日光堆朱硯筥」などがある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「人見城民」の解説

人見城民 ひとみ-じょうみん

1894-1972 大正-昭和時代の漆芸家。
明治27年1月2日生まれ。日光の上野桐恵に弟子入りし,日光彫と漆工芸をまなぶ。大正10年ごろ日光堆朱(ついしゅ)の技法を開発した。昭和47年10月4日死去。78歳。栃木県出身。本名は与四郎。初号は笑友。作品に「薬草図日光堆朱硯筥」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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