朝日日本歴史人物事典 「仁康」の解説
仁康
平安中期の祇陀林寺(広幡院)の僧。河原左大臣源融の3男と伝えられる。天台座主良源の弟子。風流をつくしたといわれた融の別荘河原院(東六条院)の跡地は荒廃して仏閣となっていたが,正暦2(991)年,ここに仁康が知識を募って丈六釈迦仏の造立と華厳経書写を行い,その供養の五時講を行った。さらに長保2(1000)年,この仏を融の六条の別邸のあった祇陀林寺に移した。治安3(1019)年には疫病を鎮めるために,地蔵信仰を広め,多くの庶民の信者を集めた。80歳のとき西向直居し,阿弥陀と地蔵の名号を唱えて没した。なお『江談抄』に時期は不詳ながら入唐のとき,母のために六波羅蜜寺で法会を行ったとある。
(勝浦令子)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報