仁興村・上仁興村(読み)にごうむら・かみにごうむら

日本歴史地名大系 「仁興村・上仁興村」の解説

仁興村・上仁興村
にごうむら・かみにごうむら

[現在地名]天理市下仁興町・上仁興町

竹之内たけのうち峠東方、藤井ふじい村東北方の東山中ひがしさんちゆうにあり、上仁興・下仁興に分れる。室町時代、仁興英算・英勝・英祐らが本居を構えた(染田天神社記、国民郷士記)。「多聞院日記」永正三年(一五〇六)八月一八日条に「今日筒井仁興迄被出了、山内衆悉以筒井被与力了、伊賀衆同可有出陣旨治定了」、天正一五年(一五八七)一二月二二日条には「廿二日兵庫与二郎上、仁興山ノ事申間、二興殿ヘノ折紙遣之」と記す。

文禄検地は仁興村で竿入れが行われているが、その検地帳には次のようにみえる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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