日本歴史地名大系 「今塚村」の解説 今塚村いまづかむら 山形県:山形市旧東村山郡地区今塚村[現在地名]山形市今塚・長表(ながおもて)・中道(なかみち)・七十刈(ななじゆうがり)・服部(はつとり)・割田(わつた)・壇野前(だんのまえ)・樋越(とよごし)・本屋敷(もとやしき)・見崎川原(みさきがわら)・梅野木前(うめのきまえ)・河原田(かわらだ)・沖町(おきまち)・天神町(てんじんちよう)門伝(もんでん)村の南に位置し、馬見(まみ)ヶ崎(さき)川西岸平地に立地。中世の今塚館跡があり、最上義光が会津の上杉景勝と戦った時の功により、丹野与惣右衛門を居館させたという(補出羽国風土略記)。最上氏改易後は山形藩領、延享元年(一七四四)幕府領、文政六年(一八二三)陸奥白河藩領、弘化二年(一八四五)山形藩領となる。寛永一三年(一六三六)の保科氏領知目録に村名がみえ、高五六六石余。同一四年には鳥海月山両所(ちようかいがつさんりようしよ)宮領が三六石余あった(「御朱印願上書」宮沢文書)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by