今新在家東町(読み)いましんざいけひがしちよう

日本歴史地名大系 「今新在家東町」の解説

今新在家東町
いましんざいけひがしちよう

中京区神泉苑町通三条下ル

南北に通る神泉苑町しぜんえんちよう(旧櫛笥小路)を挟む両側町。北側を三条さんじよう(旧三条大路)、南側を六角ろつかく(旧六角小路)東西に通る。

平安京の条坊では、町の西側は左京四条一坊四保九町東、東側は左京四条一坊四保一六町西。平安中期以降は三条櫛笥小路の南。町の全域は四条後院の地であった(二中歴)

町名は、寛永以後万治以前京都全図に「今新在家東町」とある。「坊目誌」は、元禄二年(一六八九)皇室築地拡張に際し、「上長者町烏丸蛤門付近の民家を、此地に移住せしめらる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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