日本歴史地名大系 「今鍛冶屋町」の解説 今鍛冶屋町いまかじやまち 長崎県:長崎市長崎町今鍛冶屋町[現在地名]長崎市鍛冶屋町(かじやまち)・油屋町(あぶらやまち)・本石灰町(もとしつくいまち)・浜町(はままち)東浜(ひがしはま)町の南にある長崎外(そと)町の一ヵ町で、船手に属した。町並は南北に細長く、万屋(よろずや)町などと鹿解(ししとき)川で隔てられる。本石灰町と結ばれる「シアンハシ」が玉帯(たまおび)川に架かる(享和二年長崎絵図)。町名は本鍛冶屋(もとかじや)町のあとに起立したことによる。慶長二年(一五九七)頃今鍛冶屋町衆が伊勢参宮に赴いているが、正保四年(一六四七)などにも伊勢参りがみられる(「御参宮人抜書」橋村家文書)。寛永長崎港図に「今かしや通り」と記される。寛永一九年(一六四二)の平戸町人別生所糺によれば、平戸(ひらど)町のかミや伝兵衛の奉公人はつは長崎生れで、寛永六年から同九年まで長崎奉行であった竹中采女正のとき「今かちや町」で転び、禅宗の晧台(こうたい)寺を請寺とした。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by