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西郷四郎 さいごう しろう

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

西郷四郎 さいごう-しろう

1866-1922 明治時代の柔道家。
慶応2年2月4日生まれ。西郷頼母(たのも)の養子。嘉納(かのう)治五郎に師事。立ち技山嵐(やまあらし)をあみだし,講道館四天王のひとりといわれた。のち「東洋日の出新聞」編集人富田常雄の小説「姿三四郎」のモデルとされる。大正11年12月23日死去。57歳。越後(えちご)(新潟県)出身。旧姓は志田

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朝日日本歴史人物事典の解説

西郷四郎

没年:大正11.12.22(1922)
生年:慶応2.2.4(1866.3.20)
明治時代の柔道家。会津藩(会津若松市)藩士志田貞次郎の子。生年を明治1(1868)年とする説もある。15年旧会津藩家老西郷頼母の養子となる。15歳で単身上京,陸軍予備校成城校に学ぶかたわら,天神真揚流柔術を修めた。小柄なため陸軍士官学校への進学を断念,嘉納治五郎に見いだされて講道館に入門した。必殺の立ち技「山嵐」で不世出の天才児といわれ,富田常次郎,横山作次郎,山下義韶と並んで講道館四天王のひとりに数えられる。23年講道館を去り,35年鈴木力主宰の「東洋日之出新聞」記者となり,この間に中国大陸にも渡っている。晩年は尾道市で過ごした。富田常雄の小説『姿三四郎』のモデルとされる。<参考文献>牧野登『史伝西郷四郎』

(加来耕三)

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世界大百科事典 第2版の解説

さいごうしろう【西郷四郎】

1866‐1922(慶応2‐大正11)
柔道家。新潟県出身。1882年講道館に入門,嘉納治五郎に師事した。当時残存の柔術諸流の強豪と試合してこれらを破り,講道館柔道の真価を世に示した。〈講道館四天王〉の一人に数えられ,得意技の〈山嵐〉は有名で,富田常雄の小説《姿三四郎》のモデルといわれる。87年に東京帝国大学で柔道を指導し,嘉納治五郎の第1回外遊(1889)の折には師範代をつとめ,柔道の普及発展に努力した。のち中国に渡ったが志を得ず,帰国後は長崎にとどまり寂しく晩年を過ごし,尾道市で病没した。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

西郷四郎
さいごうしろう
(1866―1922)

柔道家(六段)。講道館草創期の功労者。富田常雄作『姿三四郎』のモデルといわれる。会津藩士志田貞二郎(しだていじろう)の三男、旧藩家老西郷頼母(たのも)の養子となり、西郷四郎悳武(のりたけ)を称した。1882年(明治15)17歳のとき上京、8月永昌寺の講道館に入門、嘉納(かのう)館長のよき研究協力者となった。翌年8月、講道館最初の初段、86年1月には五段に特進。同年6月の警視庁武術大会において、山嵐(やまあらし)の大技を駆使し、東都にその勇名を馳(は)せたが、90年、嘉納の渡欧中、かねて抱懐してきた大陸への野望やみがたく、「支那(しな)渡航意見書」という一書を残して講道館を去って、長崎に走った。25歳。それ以後の彼の後半生は、長崎を中心に、日清(にっしん)・日露両戦争を挟んで、大陸問題運動家・新聞人として活躍をみせた。[渡邉一郎]

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