西郷四郎(読み)さいごうしろう

改訂新版 世界大百科事典 「西郷四郎」の意味・わかりやすい解説

西郷四郎 (さいごうしろう)
生没年:1866-1922(慶応2-大正11)

柔道家。新潟県出身。1882年講道館に入門嘉納治五郎師事した。当時残存の柔術諸流の強豪と試合してこれらを破り,講道館柔道真価を世に示した。〈講道館四天王〉の一人に数えられ,得意技の〈山嵐〉は有名で,富田常雄小説《姿三四郎》のモデルといわれる。87年に東京帝国大学で柔道を指導し,嘉納治五郎の第1回外遊(1889)の折には師範代をつとめ,柔道の普及発展に努力した。のち中国に渡ったが志を得ず,帰国後は長崎にとどまり寂しく晩年を過ごし,尾道市で病没した。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「西郷四郎」の意味・わかりやすい解説

西郷四郎
さいごうしろう
(1866―1922)

柔道家(六段)。講道館草創期の功労者。富田常雄作『姿三四郎』のモデルといわれる。会津藩士志田貞二郎(しだていじろう)の三男、旧藩家老西郷頼母(たのも)の養子となり、西郷四郎悳武(のりたけ)を称した。1882年(明治15)17歳のとき上京、8月永昌寺の講道館に入門、嘉納(かのう)館長のよき研究協力者となった。翌年8月、講道館最初の初段、86年1月には五段に特進。同年6月の警視庁武術大会において、山嵐(やまあらし)の大技を駆使し、東都にその勇名を馳(は)せたが、90年、嘉納の渡欧中、かねて抱懐してきた大陸への野望やみがたく、「支那(しな)渡航意見書」という一書を残して講道館を去って、長崎に走った。25歳。それ以後の彼の後半生は、長崎を中心に、日清(にっしん)・日露両戦争を挟んで、大陸問題運動家・新聞人として活躍をみせた。

[渡邉一郎]

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「西郷四郎」の解説

西郷四郎 さいごう-しろう

1866-1922 明治時代の柔道家。
慶応2年2月4日生まれ。西郷頼母(たのも)の養子。嘉納(かのう)治五郎に師事。立ち技山嵐(やまあらし)をあみだし,講道館四天王のひとりといわれた。のち「東洋日の出新聞」編集人。富田常雄の小説「姿三四郎」のモデルとされる。大正11年12月23日死去。57歳。越後(えちご)(新潟県)出身。旧姓は志田。

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367日誕生日大事典 「西郷四郎」の解説

西郷 四郎 (さいごう しろう)

生年月日:1866年2月4日
明治時代の柔道家
1922年没

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