他魯毎(読み)たるみー

朝日日本歴史人物事典 「他魯毎」の解説

他魯毎

没年:尚巴志8(1429)
生年:生年不詳
古琉球三山時代の山南(南山)最後の王。在位15年(1415~29)。タルミーは「たろう」に接尾敬称辞「もい(思い)」がついた形。尚思紹9(1414)年,諸臣が連合して,父汪応祖を殺した達勃期を討ち,翌年王位につけ,明の成祖の冊封を受けた。世子代を含め計8回明に入貢。尚巴志8(1429)年中山王尚巴志に亡ぼされた。そのときの逸話に,尚巴志が所有していた金屏風を領内の嘉手志川と交換,巴志は泉を手に入れると中山に帰順する者にのみその使用を許し,困った農民は山南王を恨み,それが滅亡一因となったという。出自について正史球陽』は汪応祖の長子とするが,ほかに巴志の子とする説,さらには他魯毎政権は中山の傀儡とする説まで様々である。

(田名真之)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「他魯毎」の意味・わかりやすい解説

他魯毎
たるみい
(?―1429)

沖縄の三山(さんざん)時代の山南(さんなん)(南山)最後の王。汪応祖(おうおうそ)の長子といわれるが、尚巴志(しょうはし)の子とする史書もあり、出自不明の点が多い。達勃期(たぶち)により殺害された汪応祖の後を受けて1415年(応永22)山南王となり、同年、冊封使陳季芳(ちんきほう)により冊封を受けた。進貢貿易を盛んに行い、他の二山(中山(ちゅうざん)、山北(さんほく))に対して優位を得ようとしたが、29年(永享1)中山王尚巴志の手で攻め滅ぼされた。近世の正史『中山世鑑(ちゅうざんせいかん)』には悪徳の王として描かれている。

[高良倉吉]

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