永享(読み)エイキョウ

デジタル大辞泉 「永享」の意味・読み・例文・類語

えいきょう〔エイキヤウ〕【永享】

室町中期、後花園天皇の時の年号。1429年9月5日~1441年2月17日。

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

精選版 日本国語大辞典 「永享」の意味・読み・例文・類語

えい‐きょう‥キャウ【永享】

  1. [ 1 ] ながく受け継ぐこと。
    1. [初出の実例]「此鴻利(こうり)を万民永享の後に恵んとす」(出典:東京横浜間の鉄道開業式に際して下し給へる勅語‐明治五年(1872)九月一二日)
    2. [その他の文献]〔曹丕‐追封鄧公策〕
  2. [ 2 ] 室町時代、後花園天皇の代の年号。即位により正長二年(一四二九)九月五日改元し、永享一三年(一四四一)二月一七日に至り次の嘉吉(かきつ)に代わる。将軍は六代足利義教(よしのり)。出典は「漢書‐王莽伝」の「能立巍巍之功于子孫、永享無窮之祚」。

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例

日本の元号がわかる事典 「永享」の解説

えいきょう【永享】

日本の元号(年号)。室町時代の1429年から1441年まで、後花園(ごはなぞの)天皇の代の元号。前元号は正長(しょうちょう)。次元号は嘉吉(かきつ)。1429年(正長2)9月5日改元。後花園天皇の即位にともない行われた(代始改元)。『後漢書(ごかんじょ)』を出典とする命名。永享年間の室町幕府の将軍は足利義教(よしのり)(6代)。1438年(永享10)、鎌倉公方(くぼう)の足利持氏(もちうじ)が関東管領の上杉憲実(のりざね)を攻撃したことをきっかけに関東で大規模な戦乱(永享の乱)が起こり、持氏は敗れて自殺、鎌倉府は滅亡した。この乱の後、将軍義教は、鎌倉公方不在となった関東に実子を下向させようとした。これに対し、下総の結城氏朝(ゆうきうじとも)・持朝(もちとも)父子らが持氏の遺児を擁して幕府反抗、1440年(永享12)に結城合戦が起こった。

出典 講談社日本の元号がわかる事典について 情報

今日のキーワード

部分連合

与野党が協議して、政策ごとに野党が特定の法案成立などで協力すること。パーシャル連合。[補説]閣僚は出さないが与党としてふるまう閣外協力より、与党への協力度は低い。...

部分連合の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android