伊作郷(読み)いざくごう

日本歴史地名大系 「伊作郷」の解説

伊作郷
いざくごう

鹿児島藩の外城の一つ。阿多あた郡に属し、東は谷山たにやま(現鹿児島市)、南は田布施たぶせ(現金峰町)、北は永吉ながよし郷。中原なかはら村・今田いまだ村・中之里なかのさと村・入来いりき村・和田わだ村・湯之浦ゆのうら村・与倉よくら村・田尻たじり村・花熟里けしくり村・小野おの村の一〇ヵ村よりなる。このうち田尻村のみは島津安芸の給地(持切在)。天正二〇年(一五九二)四月の薩隅日寺社領注文(旧記雑録)によると、伊作の寺社領二二町六反余が上知となり、残されたのは寺付一一町三反余であった。文禄四年(一五九五)の豊臣秀吉朱印知行方目録(旧記雑録)に阿多郡内「伊作の村」とみえ、高五千二一三石余。藤井本「要用集抄」では正徳三年(一七一三)頃の高七千一六三石余。天明二年(一七八二)諸所から御側方・大目付座へ提出された高付によると高五千九七〇石余、うち蔵入八二四石余・給地五千一四六石余(鹿児島藩租額事件)。「三州御治世要覧」では延享(一七四四―四八)頃の高七千一六九石余。文政九年(一八二六)の高七千五石余(薩藩政要録)。郷士知行高は寛永一六年(一六三九)では一千九六三石余、うち寺社分一六七石余、衆中人数二〇七、うち知行取一九四(一〇〇石以上二・三〇石以上一〇)、一ヶ所取九、寺社四(列朝制度)。文政九年の高一千六一七石余、郷士人躰六〇九(薩藩政要録)。天保四年(一八三三)の伊作郷士持高は三二九人中、一石未満の者および一ヶ所・無高の者四〇三、一〇〇石以上一、五〇石以上六(「伊作郷士高帳」吹上町歴史民俗資料館蔵)。慶長一八年(一六一三)の軍役賦帳(旧記雑録)には二番備内に伊作衆六四人、従外城之御道具持衆として伊作二〇人とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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