伊具庄(読み)いぐのしよう

日本歴史地名大系 「伊具庄」の解説

伊具庄
いぐのしよう

角田かくだ市の大半と丸森まるもり町の北部を占める鎌倉期よりの庄園。正安三年(一三〇一)二月日の伊具郡斗蔵とくら(現角田市)鐘銘に「伊具庄斗蔵寺」とみえ、「別平朝臣貞時二世悉地洪定成就」とあることから、北条得宗家領であったと思われる。嘉元四年(一三〇六)六月一二日の昭慶門院御領目録(竹内文平氏所蔵文書)の庁分(女院庁が直接管理する庄園)のなかに菊田きくた(現福島県いわき市)と並んで庄名がみえ、本家は天皇家であった。建武二年(一三三五)伊具郡と金原かなはら保などの検断職が陸奥守北畠顕家より相馬重胤と武石胤顕に与えられているが、金原保を除いた伊具郡は、伊具庄と同じ地域であったと考えられる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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