相馬重胤(読み)そうま しげたね

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「相馬重胤」の解説

相馬重胤 そうま-しげたね

?-1338* 鎌倉-南北朝時代の武将
相馬師胤(もろたね)の子。相馬氏6代。奥州相馬氏の祖。元亨(げんこう)3年下総(しもうさ)相馬郡(千葉県,茨城県)から陸奥行方(なめかた)郡(福島県)にうつり,のち小高城をきずいた。後醍醐(ごだいご)天皇の討幕軍にくわわり所領を安堵(あんど)される。のち足利方に属し,建武(けんむ)4=延元2年12月25日鎌倉で北畠顕家(あきいえ)の軍に敗れ自害した。通称は孫五郎。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の相馬重胤の言及

【相馬氏】より

…中・近世,下総・陸奥の武家。桓武平氏の流れをくみ,平将門の後裔と伝えられるが,直接の祖は千葉氏の祖常胤(つねたね)の次男師常(もろつね)。千葉六党の一つ。師常は下総国相馬郡を領して相馬氏を称したが,1189年(文治5)の奥州平泉討伐の功によって陸奥国行方(なめかた)郡を与えられたという。その後,胤村の五男師胤が行方郡の所領を譲られ,その子重胤が1323年(元亨3)に一族とともに行方郡に下向して奥州相馬氏をおこした。…

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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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