朝日日本歴史人物事典 「相馬重胤」の解説
相馬重胤
生年:生年不詳
鎌倉末・南北朝時代の武将。師胤の子。孫五郎。相馬氏は千葉氏六党のひとつで,奥羽合戦の功で陸奥国行方郡を与えられた。重胤は元亨3(1323)年一族の岡田,大悲山両氏らと共に行方郡に下向し,さらに嘉暦1(1326)年小高(福島県小高町)に館を構え,奥州相馬氏の祖となる。このとき妙見社など諸寺社も移したという。正慶2/元弘3(1333)年後醍醐天皇から所領を安堵され,建武2(1335)年には行方など諸郡の検断職および行方郡奉行に補任され,建武新政府下の陸奥小幕府体制の一翼を担う。が,その後北朝方に属し,建武3/延元1(1336)年斯波家長に従って鎌倉に赴いたが,北畠顕家軍に敗れ,法華堂下で自害。
(伊藤清郎)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報