阿武隈川(読み)アブクマガワ

デジタル大辞泉 「阿武隈川」の意味・読み・例文・類語

あぶくま‐がわ〔‐がは〕【阿武隈川】

福島県の旭岳付近に源を発し、北流して宮城県南部で太平洋に注ぐ川。長さ239キロ。

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精選版 日本国語大辞典 「阿武隈川」の意味・読み・例文・類語

あぶくま‐がわ‥がは【阿武隈川】

  1. 福島県と栃木県境にある三本槍岳に発し、郡山・福島盆地を北流して宮城県亘理町の荒浜で太平洋に注ぐ川。かつては「おおくま」ともいい、曲折が多かった。峡谷や滝の景勝地が多い。全長二三九キロメートル。

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日本歴史地名大系 「阿武隈川」の解説

阿武隈川
あぶくまがわ

古くは逢隈・遇隈・大熊・青隈とも書かれた。福島県と栃木県の県境、那須山地の一つ三本槍さんぼんやり(一九一六・九メートル)の北東山麓に源を発し、ほぼ北流して宮城県亘理わたり荒浜あらはまで太平洋に注ぐ。幹川流路延長二一九・一キロ、うち福島県域一八〇・七キロ(福島県河川調書)、流域面積五四〇〇平方キロの東北有数の大河で、一級河川。左岸は那須・安達太良・吾妻・蔵王連峰など一五〇〇―二〇〇〇メートル級の奥羽山脈が連なり、奥羽の水はこの山脈で東西に分水される。右岸には古い山地で比較的なだらかな阿武隈高地が並行して走る。奥羽山脈と阿武隈高地との間の低地帯は中通りといわれ、古代以来政治・経済・文化の重要な交流の道筋となってきた。阿武隈川はこの低地帯を仙台平野へ向かって北流する。上流部は三本槍岳から栃木県境にほぼ並行して東流、白河市街を過ぎて中島なかじま川原田かわらだ付近から向きを北に転じ、中通りを貫流し、宮城県亘理町で太平洋に注ぐ。流域には白河・須賀川・郡山・本宮もとみや・福島盆地や宮城県に角田かくだ盆地がある。標高は上流の白河盆地で約三五〇メートル、郡山盆地約二三〇メートル、福島盆地約六〇メートルと徐々に低くなる。盆地と盆地の間は急流が多いが、盆地内は一転して緩やかで、水量豊かな流れになる。須賀川市の断層崖につくられた乙字おつじヶ滝、福島盆地入口の蓬莱ほうらい峡、福島・宮城県境の猿跳さるぱねなどは両岸に迫る山と急流が美しい景観を形成している。しかし急流部は逆に水運の障害となった。

〔原始〕

後期旧石器時代の遺跡として阿武隈川中流域の桑折こおり平林ひらばやし遺跡が知られる。縄文時代の遺跡では福島市の仙台内前せんだいうちまえ遺跡(草創期)や、支流の大滝根おおたきね川流域の遺跡が代表的である。弥生時代の遺跡としては、白河市に天王山式土器や炭化米を出土した弥生時代後期の天王山てんのうやま遺跡、集落遺跡が発見された明戸あけど遺跡などがある。そのほか流域には集落をつくり稲作を営んだ弥生時代の遺跡が点在する。大玉おおたま村の阿武隈川左岸に傾城壇けいせいだん古墳があり、中通りでは現在知られている唯一の古墳時代前期の前方後円墳である。泉崎いずみざき村の原山はらやま一号墳は五世紀末の古墳で、武人や力士の埴輪が出土した。郡山市の阿武隈川右岸丘陵地帯にある永作ながさく遺跡・南山田みなみやまだ遺跡からは古墳時代中期の住居跡が多数発見され、大規模な集落遺跡であったといわれている。

〔古代・中世〕

「国造本紀」によると、大化改新以前陸奥には一一の国造が置かれた。その設置範囲は現在の福島県から宮城県南部にわたっている。


阿武隈川
あぶくまがわ

福島県白河しらかわ市の西、那須なす火山帯の三本槍さんぼんやり(一九一六・九メートル)東麓を水源とする一級河川。白河市を過ぎて福島県域を北上し、福島市を出たあと北東に流路を変え、伊具いぐ丸森まるもり町に入る。それより角田かくだ市・柴田郡柴田町を北進し、白石しろいし川を合せたあと東進蛇行して岩沼市を流れ、亘理わたり郡亘理町の荒浜あらはまで太平洋に注ぐ。幹川流路延長二三九キロのうち宮城県域五三・六キロ、流域面積五四〇〇平方キロで、東北では北上・最上両川に次ぐ大河。「三代実録」貞観五年(八六三)一〇月二九日条にみえる「勲十等阿福麻水神」を当川にかかわる神とみる説があり、「延喜式」神名帳の「曰理ワタリノ郡四座並小」のうちの「安福河伯アフカハノ神社」は「安福麻河伯」が本来であるという。安福河伯あぶかわ神社は現亘理町逢隈田沢おうくまたざわに鎮座するが、この逢隈はアフクマとも読める。文治五年(一一八九)の奥州合戦では、海道大将軍として北進してきた千葉介常胤の軍勢が逢隈湊を渡って多賀国府に向かっている(「吾妻鏡」同年八月一二日条)。阿武隈川は「みちのくの大河」としてつとに都人に知られ、「恋の逢瀬」の縁語として歌に詠まれた。

<資料は省略されています>

文明一八年(一四八六)の「廻国雑記」には「かくしつつ故郷人にいつかさて逢隈がはの逢瀬にはせむ」とみえる。

〔舟運〕

阿武隈川の舟運は下流が主で、寛永期(一六二四―四四)初めから疎通および改修を行っていたが、寛文四年(一六六四)信夫しのぶ郡・伊達だて(現福島県)幕府領に入ってから本格化した。輸送物資は信達両郡の城米と、米沢・仙台両藩の蔵米を中心とし、専売の塩、雑穀、商人荷などであった。伊達郡との藩境、伊具郡丸森村水沢みずさわ(現丸森町)と同郡耕野こうやぬまうえ(現同上)には仙台藩の境目番所と穀改所が置かれ、幕府領の伊達郡川俣かわまた(現川俣町)梁川やながわ(現梁川町)・信夫郡大森おおもり(現福島市)の代官所はそれぞれ陣屋を設置した。また河口荒浜には海上取締と海船取締のための川口番所が設けられた。水沢番所の創置は寛文五年(丸森村安永風土記)。番所の支配下に肝入があり、水沢・沼ノ上、玉崎たまざき(現岩沼市)に配されていた。水沢は寛永一八年、玉崎は天和二年(一六八二)からであった(安永八年「渡辺家勤功書上」渡辺信一家文書)。その職務は管轄下の高瀬舟・小舟の役代取立、村肝入からの新規造船・造替・古損・減舟などの許可申請を水沢番所に取次ぎ、許可を得ることなどであった。また城米輸送の際には、船主への連絡、河道の安全確認を沿岸諸村に指示するなどした。

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改訂新版 世界大百科事典 「阿武隈川」の意味・わかりやすい解説

阿武隈川 (あぶくまがわ)

福島県東部から宮城県南部を流れる川。白河市西方にある三本槍岳(1917m)東斜面に発し,奥羽山脈と阿武隈高地の間を北流,福島盆地北東隅から阿武隈高地北部を峡谷をなして北東流し,宮城県亘理(わたり)郡亘理町荒浜で仙台湾に注ぐ。幹川流路延長239kmは東北では北上川に次いで第2位,全流域面積5400km2は北上川,最上川に次いで第3位の大河川である。阿武隈川は,北上川とともに東北地方太平洋側の二大縦谷を形成するが,流路のこう配は平均して北上川よりも大きく,またいくつかの盆地間には峡谷部や遷急点がある。おもなものは,二本松中部から福島盆地までの蓬萊(ほうらい)峡,福島盆地から宮城県角田盆地に至る猿跳(さるはね)峡である。特に蓬萊峡は25km間で比高120mの急こう配をなし,二本松市中部では構造線谷を思わせる約5kmの直線状峡谷を形成していた。左岸の奥羽山脈,右岸の阿武隈高地から,おおむね東西方向の支流が注ぐが,それらのおもなものは,左岸では須賀川の市街地北方で合流する釈迦堂川,郡山盆地を東流する笹原川,五百川など,蓬萊峡に流入する水原川,福島盆地をやや東流する荒川,松川,摺上(すりかみ)川などであり,角田盆地を出たところでは最大の支流白石川を合わせている。一方,右岸では白河丘陵を東流した後,石川町北西で合流する社(やしろ)川,田村市北部の水を集める大滝根川と移(うつし)川,川俣より北流する広瀬川,角田盆地の内川,雉子尾川などが本流に注ぐ。

 本流に沿って,上流から白河,須賀川,郡山,本宮,福島,角田などの各盆地および河口付近の仙南平野と,それらの間の低い丘陵地や山地とが交互に配列しており,福島盆地以南では福島県の中通り低地帯をつくっている。本宮盆地より上流では洪積台地の発達が著しく,盆地床の標高は200m以上である。福島・角田両盆地は陥没盆地で沖積低地が広がるが,前者は西縁に複合扇状地が発達し,後者は溺れ谷状の屈曲の多い山麓線に限られる。河口付近の仙南平野は低平で,網状流した旧河川の流路跡が複雑なS字状に配列する。これらの盆地や平野を含む全流域は福島県の全面積の77%,人口の85%を占める。福島市をはじめ各市町の市街地付近では第2次・第3次産業が発達するが,各平地や丘陵地域には耕地が広く分布し,角田・福島両盆地から旧安達郡,田村市の丘陵地域にかけては養蚕,福島盆地ではリンゴ,桃,梨などの果樹栽培,須賀川付近ではキュウリの栽培,丘陵地域の旧田村郡と石川郡では葉タバコの栽培が盛んである。

 阿武隈川の谷は支流の白石川沿いも含めて,古くから東北日本への交通路として利用されてきた。従来の陸羽街道,現在の国道4号線,JRの東北本線と同新幹線,東北自動車道も蓬萊峡や猿跳峡を除いて,中通り低地帯から白石川沿いを通過している。また藩政時代から明治初期まで,河口の荒浜から福島までと,二本松から石川付近まで舟運の便があったが,福島から二本松までは蓬萊峡で急流のため陸上輸送に積替えが必要であった。現在,蓬萊峡には蓬萊・信夫両発電所があり,前者に水を引く約8km上流の蓬萊ダム(通称飯野堰堤,1938完成)のダム湖は直線状峡谷を利用しており,この部分は流れがゆるやかになったため漕艇場にも利用されている。このほか,現在,河川水は上水道,農業,工業などに多面的に使われている。
執筆者:

水運の利用は,福島を境に上流と下流とに分かれるが,下流の水運の発達が早く,とくに1670年(寛文10)の河村瑞賢の開削以後に画期的な発展をみた。それは主として幕領信夫・伊達2郡の城米を江戸へ回送するのが目的であったが,やがて仙台藩や米沢藩の廻米輸送も盛んとなった。幕府は河口右岸の荒浜に城米専用の米倉を設け,仙台藩や米沢藩も荒浜,藤波などに米倉を置いた。仙台藩は荒浜,水沢,丸森,玉崎に御穀改所を設け,その支配下に艜(ひらた)肝入を置いて舟運の統制にあたった。船は水沢,沼上までは小鵜飼船,その下流荒浜までは艜船を使うのが普通であった。しかし18世紀半ば以後,下流では艜船仲間と高瀬船仲間の争いが起こり,しだいに高瀬船が増加し,幕末には両方とも50艘台となっている。小船の高瀬船の増加は,沿岸諸村の養蚕業などの商品生産の影響によるもので,幕末期の上流水運の発達も,三春,石川,田村周辺の商業的農業の発展を背景としている。
執筆者:

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百科事典マイペディア 「阿武隈川」の意味・わかりやすい解説

阿武隈川【あぶくまがわ】

福島県南部,白河市西方に発し,県中東部を北流して宮城県南東部で太平洋に注ぐ。長さ239km,流域面積5400km2。白河,須賀川,郡山,福島,角田の各盆地が発達,上流の白河関と白河郡家は陸奥国の玄関として重視され,江戸時代には河岸を拠点とする舟運が発達した。現在も,河谷は福島県中通り地方の主要部に当たり,交通・経済の動脈をなす。
→関連項目安積疎(疏)水安達[町]阿武隈高地岩沼[市]大河原[町]鏡石[町]角田[市]郡山盆地柴田[町]白河[市]白河関仙台平野仙台湾月舘[町]貞山堀中通り二本松[市]東廻海運福島[県]福島[市]福島藩福島盆地保原[町]丸森[町]宮城[県]本宮[市]梁川[町]亘理[町]

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「阿武隈川」の意味・わかりやすい解説

阿武隈川
あぶくまがわ

福島県中通(なかどお)りを北流し、宮城県亘理町(わたりちょう)荒浜(あらはま)で太平洋に注ぐ川。一級河川。延長239キロメートル、流域面積5400平方キロメートル。福島・栃木県境の那須(なす)火山群の三本槍岳(さんぼんやりだけ)付近に源を発し、阿武隈高地と奥羽山脈の間を流れ、郡山(こおりやま)、福島両盆地を経て宮城県に入り、北流する。古くは大熊、逢隈、合曲などと表記した。「隈」は屈曲を意味し、明治初期まで大きく曲流していたことを考え合わせると、大曲川から転化したとする説が妥当とみられる。近世には舟運があり、下流部の荒浜―沼上(ぬまのうえ)(宮城県伊具(いぐ)郡丸森町)間は寛永(かんえい)年間(1624~1644)に仙台藩が通船を開始、沼上―福島間の開始は1665年(寛文5)ごろである。鬼生田(おにうだ)(福島県郡山市)―川原田(同県西白河(にししらかわ)郡中島村)間にも舟運の便があった。鬼生田―才俣(さいまた)(同県二本松(にほんまつ)市)間は明治初年に船路が開かれた。近世の舟運は幕府の城米輸送がおもな目的であった。中流の阿武隈峡(蓬莱峡(ほうらいきょう))付近と福島盆地床との間は100メートル余りの落差があり、花崗(かこう)岩からなる岩盤に峡谷を刻む。藩政期には通船不能の急流部であったが、現在では発電所が設けられている。本流の一部では灌漑(かんがい)用水源や上水道水源に利用される。福島市付近までサケが上っている。また歌枕(うたまくら)としても『古今集』の「阿武隈に霧たちくもり明けぬとも君をばやらじ待てばすべなし」(東歌(あずまうた))など多く詠まれており、阿武隈川を「会う」にかけることが多く、また川底から埋(うも)れ木が発見されることから埋れ木を詠み込んだ古歌も多い。

[安田初雄]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「阿武隈川」の意味・わかりやすい解説

阿武隈川
あぶくまがわ

福島県東部を北流して宮城県仙台湾に注ぐ川。全長 239kmで,東北では北上川に次いで第2位の大河川。白石川,隈戸川,釈迦堂川,須川,松川,大滝根川など支流が多い。本流沿いを中通りと呼び,白河,郡山,福島,角田などの盆地が発達。下流は仙台平野。明治までは川船交通が栄え,中通りと会津の物資を輸送した。当時は河口から石巻まで貞山堀を使い,外洋の荒波を避けた。河口から福島盆地までと二本松から石川まで航行可能であったが,福島-二本松間は陸路中継した。農業用水,発電用水,上水道用水に利用される。

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世界大百科事典(旧版)内の阿武隈川の言及

【郡山盆地】より

…福島県のほぼ中央,阿武隈川中流部にある盆地。東は阿武隈高地,西は奥羽山脈に属する川桁(かわげた)・額取(ひたいどり)両山地に限られるが,北部は青田原付近で本宮(もとみや)盆地に続き,南部は郡山市と岩瀬村,須賀川市との境界付近で須賀川盆地に移行する。…

※「阿武隈川」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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