伊能忠敬墓(読み)いのうただたかのはか

国指定史跡ガイド 「伊能忠敬墓」の解説

いのうただたかのはか【伊能忠敬墓】


東京都台東区東上野の源空寺(げんくうじ)に所在する、実測によるわが国初の日本地図を作成した伊能忠敬の墓。忠敬の師である高橋至時(よしとき)の墓の右に並んで建ち、墓石は2重台石に角石を載せたもので、総高168.5cm、幅・奥行きそれぞれ91cm。正面に隷書(れいしょ)で「東河(とうが)伊能先生之墓」とあり、1943年(昭和18)に国の史跡に指定。忠敬は1745年(延享2)、上総国山辺郡小関村に生まれ、名は三治郎。下総国佐原の酒造家・名主の伊能家を継ぎ、50歳の時に家督を譲り、翌年江戸に出て、西洋暦法、測図法を学ぶ。1800年(寛政12)には幕府に願い出て、蝦夷地(えぞち)東南海岸の調査に着手、以来17年間、全国各地を測量して歩いたが、未完のうちに1818年(文政1)74歳で没す。その後、地図の作成は幕府天文方に引き継がれ、1821年(文政4)に、わが国最初の実測精密地図である『大日本沿海輿地全図』が完成した。東京メトロ銀座線稲荷町駅から徒歩約2分。

出典 講談社国指定史跡ガイドについて 情報

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