漢字の書体の一種。中国では漢代(前202~後220)に正式書体として用いられた。秦(しん)代までの篆書(てんしょ)が縦長で、正面を向き、静かに無表情なのに対し、その篆書から生まれた隷書は、扁平な台形を右下に引っ張ったような形をとり、また筆画は「波勢」といううねりを帯びている。波勢はことに横画に顕著に働き、一字のうちのもっとも重要な一横画は大きくうねって右にはね出し、これを「波発」という。20世紀初頭以降の考古学的発掘により、西域(せいいき)などから木簡(もっかん)や竹簡(ちっかん)、帛書(はくしょ)が発見され、隷書が戦国時代後期に発生し、秦代から前漢初期にかけて成長したことが知られるに至った。紀元前60年代の紀年のある木簡にはすでにりっぱに完成した隷書がみられる。一般に、初期の比較的に素朴な隷書を「古隷(これい)」といい、波発を備えた完成した隷書を「八分(はっぷん)」といって区別することがある。後漢(ごかん)末の140年代から180年代にかけて立てられた石碑には、もっとも美しく成熟した隷書の諸相をみることができる。三国時代以後は形式的なものに堕したが、清(しん)代に天才鄧石如(とうせきじょ)が漢隷の筆法を復興し、隷書はふたたび生命を得た。今日でも、新聞の題字や看板などにしばしば用いられている。
[筒井茂徳]
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… これに対して実用的な字体も使用されたと考えられるが,秦の統一後その実用的な字体が表に現れてきた。いわゆる隷書(れいしよ)がそれである。隷書は前漢・後漢を通じて行われたが,漢末になると,これから楷書(かいしよ)が生まれた。…
…たとえば,戦国時代晋の国で書かれた〈侯馬盟書〉,楚の帛書(はくしよ)・竹簡,秦の始皇帝の20年(前227)に書かれた雲夢秦簡(睡虎地秦墓)などがそのおもなものである。これらになると,金文に見られた左右相称的な構造が崩れ,運筆も軽妙闊達になり,やがて漢代の隷書や草書が生まれるのを早くも予告しているような感じを抱かせる。石に文字を刻むためには,石よりも強堅な鉄製の鑿(のみ)の存在が前提となる。…
…これは東方の諸国で用いられたもので,古文と称されて現在まで伝わっている。
[書体分類の沿革]
(1)漢魏六朝 書体の分類が中国で最初に試みられるのは後漢時代で,80年ころ成立の《漢書》芸文志で,古文,奇字,篆書,隷書,繆篆(びゆうてん),虫書の六体をあげる。次に,100年ころの成立とされる許慎《説文解字》叙には,秦の八体として,大篆,小篆,刻符,虫書,摹印(ぼいん),署書,殳(しゆ)書,隷書をあげ,新(しん)の六書として,古文,奇字,篆書,佐書,繆篆,鳥虫書をあげている。…
…漢代になって五言詩が興り,詩が舞楽から独立して個人の心情をあらわすものとなった。文字も古代にあっては宗教的・政治的権威をあらわすものであったが,複雑怪奇な古代文字が簡略化され実用化されたのは秦の始皇帝による隷書の創始からである。漢になって隷書の早書として草書が生まれ,草書をもとにして表現にくふうが凝らされ,一転一折の筆の運びに情感がこめられ,書の芸術化が始まった。…
…下邽(かけい)(陝西省)の出身。始皇帝のとき罪を犯して雲陽(陝西省)の獄舎につながれ,獄中で10年間くふうをこらし,大篆や小篆の方円を増減して,隷書(れいしよ)3000字を作って奏上した。始皇帝は程邈の罪を許して御史(ぎよし)(記録)の官に任じ,書きやすく事務に便利なこの書体を書記役の徒隷に使用させたという。…
…漢字の書体8種をいう。一つは〈説文解字序〉に見える〈秦書八体〉で,大篆(だいてん),小篆,刻符,虫書,摹印(ぼいん),署書,殳書(しゆしよ),隷書(れいしよ)をいう(秦書)。一つは唐の張懐瓘(ちようかいかん)の《書断》に見える〈八体〉の語。…
※「隷書」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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