日本歴史地名大系 「伝兵衛新田」の解説 伝兵衛新田でんべえしんでん 千葉県:松戸市伝兵衛新田[現在地名]松戸市栄町(さかえちよう)古(こ)ヶ崎(さき)村の北側、江戸川左岸の低地に位置し、村内を六間(ろつけん)堀が南流する。村名の由来は開発者とされる旧高城氏家臣戸張伝兵衛によるといわれる。慶安年間(一六四八―五二)頃の成立といわれる高城胤忠旧知行高付帳に伝兵衛新田とみえるが、高の記載はない。元禄一三年(一七〇〇)頃の下総国各村級分では高一九九石余、幕府領。以後幕末まで幕府領(旧高旧領取調帳)。寛保三年(一七四三)から小金(こがね)宿の定助郷を隔年に勤め、中野(なかの)牧付人足六人、上野(かみの)牧・高田台(たかだだい)牧付人足六人を負担し、小金五牧捕馬の際も賄一八ヵ村に指定されていた(天保一〇年小金五牧捕馬等人足割控)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by