日本大百科全書(ニッポニカ) 「伯耆国衙跡」の意味・わかりやすい解説
伯耆国衙跡
ほうきこくがあと
古代律令(りつりょう)制下における伯耆国(鳥取県中・西部)支配の政治的拠点の中核をなす官衙(かんが)街。倉吉市国府(こくふ)の国庁裏(こくちょううら)神社付近に所在する。1973年(昭和48)からの継続調査で国府の中心をなす国庁域は、東西二町半(一町=約109メートル)、南北二町で、そのほぼ中央に一町四方弱の政庁域を設け、正殿、前殿、後殿を中心に東西両脇殿と楼風建物などが四期にわたって変遷することが確認された。政庁域の北と西の外郭にも官衙の建物がみられ、政庁の主要殿舎が従来の掘立て柱から礎石(そせき)建物に切り替わる8世紀後半にもっとも整備された。遺物には墨書(ぼくしょ)土器、陶硯(とうけん)、緑釉(りょくゆう)陶器、須恵器(すえき)、土師器(はじき)のほか国分寺、同尼寺所用瓦(かわら)と同型式の瓦類などがある。国府の範囲について方六町を想定する考えなどもあるが、決め手はない。
[前島己基]