陶磁器や瓦塼(がせん)など窯業製品の表面にかける釉(うわぐすり)の一種。一般に釉はガラスと同じケイ酸塩化合物であるが,ケイ酸と酸化鉛を主成分としたもの,700~800℃ほどの低い温度で溶け,艶のある滑らかな鉛釉となる。この鉛釉に呈色剤として微量の銅が加えられていると,緑色に発色して緑釉となり,銅の量によって濃淡を生じる。また,この緑釉をかけた製品,緑釉陶を略して緑釉と呼ぶことも多い。出土品の分析によると,酸化鉛は50~70%,銅は酸化銅として1~3%含まれ,残りのほとんどは二酸化ケイ素である。
西方世界では,鉛釉は前4000年代に出現したアルカリ釉よりおくれ,エジプトの第22王朝(前950~前730)に出現している。これは緑釉であった。中国では,戦国時代に鉛釉は始まり,漢代に普及する。それには緑釉のほかに,鉄を呈色剤とした褐釉(黄釉)がある。朝鮮半島では,褐釉(黄釉)が高句麗にあり,緑釉は百済,つづいて統一新羅に多い。日本では,正倉院蔵品に代表される8世紀のいわゆる奈良三彩に緑釉や褐釉(黄釉)が含まれているが,末期古墳出土品や寺院跡発掘品からみると,単彩の緑釉は,三彩や二彩などの多彩釉よりはやく7世紀に製作されはじめていた可能性がある。この奈良時代の鉛釉はおそらく大和を中心に製作されていたが,緑釉は多彩釉にくらべて決して多いものではなかった。しかし,平安時代になると,多彩釉の消滅によって緑釉の製作のみに限られるようになり,その産地も山城,摂津,丹波,近江,尾張と拡大し,製造量も飛躍的に増加している。しかし,それ以後日本では緑釉は衰退し,器面を広くおおう釉としての使用はごく一部に限られ,わずかに華やかな近世窯業を支える上絵具の材料の一つとして存在するにとどまった。
執筆者:田中 琢
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
陶磁器の緑色に呈発する釉薬。鉛を溶媒とし、呈色剤の銅の酸化によって緑色を呈し、その量で濃淡が生ずるが、これには低火度緑釉と高火度緑釉の2種がある。800℃内外で製される低火度緑釉は、中国では戦国時代(前4~前3世紀)に創始され、流行普及した漢代では瓦(かわら)や煉瓦(れんが)、明器(めいき)の陶俑(とうよう)・壺(こ)などが多数焼かれており、唐代には華麗な唐三彩にも用いられた。西アジアでは西暦前後にローマ帝国領内のシリア方面で焼かれており、また朝鮮半島では百済(くだら)、統一新羅(しらぎ)などに多くみられる。日本では正倉院宝物の奈良三彩(後8世紀ころ)に緑釉があるが、単彩ではもうすこし早い時期(7世紀ころ)に始められたと推測される。平安時代には平安緑釉として単彩で用いられたが、鎌倉時代以後はしばらくとだえ、桃山時代にふたたび交址(こうち)三彩の技術の導入により、楽焼・京焼を含む多彩な製品へと展開した。
高火度の灰釉陶系の緑釉は、同じく銅を呈色剤として1250℃前後で製される。東洋ではベトナムで11世紀ころにこの釉法がくふうされ、日本ではまず美濃(みの)(岐阜県)の妙土(みょうど)窯が16世紀後半に試みており、17世紀初頭には美濃焼元屋敷窯の織部(おりべ)陶で大いに用いられた。
[矢部良明]
『楢崎彰一編『日本陶磁全集5 三彩・緑釉』(1977・中央公論社)』
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
…奈良時代から平安時代にかけて焼かれた低火度の鉛釉瓷で,日本最古の施釉陶器。一般には平安時代の緑釉を含めて奈良三彩,緑釉あるいは彩釉陶器と呼ばれている。当時の文献や古文書には〈瓷〉〈瓷器〉〈青瓷〉〈青子〉などの用語がみられ,シノウツワモノ,アオシと呼ばれていた。…
※「緑釉」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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