朝日日本歴史人物事典 「佐倉常七」の解説
佐倉常七
生年:天保6.1.7(1835.2.4)
明治期の西陣織匠。岐阜の人。河瀬久兵衛の長男。幼少時に父を失い,佐倉家の養子となり,のちに常七を襲名。京都西陣のふじ屋久兵衛のもとで織物業を学んだ。明治5(1872)年京都府織物伝習生として,吉田忠七,井上伊兵衛と渡仏し,リヨンで苦難の末製織法を習得。翌年帰国し,ジャカードやバッタンなどの洋式織機を日本に初めて導入した。当初はその効用を知らない者からの攻撃を受けたが,のちに急速に普及した。日本への織物製織技術の導入は佐倉によるところが大きい。8~14年京都府織工場教授。のちジャカード機の実用に成功し鹿子織等の織法を案出した佐々木清七の工場に転じ,26年独立し自ら工場を経営した。25年に西陣の10傑に選ばれ,27年米国コロンビア世界大博覧会より協賛名誉賞を受賞。さらに29年京都市織染学校嘱託教師となった。<参考文献>四方呉堂「織界の隠士 佐倉常七君伝」(『大日本織物協会会報』121,122,123号)
(松本貴典)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報