佐手久村(読み)さでいくむら

日本歴史地名大系 「佐手久村」の解説

佐手久村
さでいくむら

[現在地名]喜界町佐手久さでく

志戸桶しいー村の南西に位置し、東部は海に臨む。志戸桶間切のうち。琉球王国から派遣された米須公は当地に住んで全島を統治していたが、王府の政治変動で帰任することがかなわず、佐手久で妻を迎え、ここで生涯を終えたという。その子孫は顧氏一族として栄え、米須公の墓は集落の丘の中腹の岩屋内にあるが、近代以降も沖縄の一族の墓参が続いていた。寛永五年(一六二八)生れの孝山は、佐手久村与人の娘の佐手久ノロを母親とするという(「浜川家系統略図」浜川家文書)。元禄五年(一六九二)の喜界島帳留(列朝制度)に志戸桶間切与人のとして「佐手久村」とみえる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

カイロス

宇宙事業会社スペースワンが開発した小型ロケット。固体燃料の3段式で、和歌山県串本町の民間発射場「スペースポート紀伊」から打ち上げる。同社は契約から打ち上げまでの期間で世界最短を目指すとし、将来的には...

カイロスの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android