佐敷番代屋敷跡(読み)さしきばんだいやしきあと

日本歴史地名大系 「佐敷番代屋敷跡」の解説

佐敷番代屋敷跡
さしきばんだいやしきあと

[現在地名]芦北町佐敷

高山彦九郎は「筑紫日記」に「町の西に花岡城跡、登り二丁斗の山也。其の下に番代小笠原氏の屋敷有り」と記し、その位置はもとの啓微けいび堂の横、今の芦北町社会教育センターの辺りと思われる。佐敷番代(番頭)は薩摩国境・球磨郡境警備のため熊本から派遣され、配下の佐敷二十五人組も熊本から派遣された。「国誌」によると、二十五人組はたに(現新町谷丁)なか(現本町中丁)山崎やまざき(現本町山崎)に配置され、番代は中丁の佐敷御茶屋内に居住したとしているので、番代屋敷は「国誌」編纂後に茶屋から独立したと考えられる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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