日本歴史地名大系 「葦北郡」の解説
葦北郡
あしきたぐん
熊本県南部にあり、南は
「日本書紀」景行天皇一八年四月一一日条に「葦北の小嶋に泊りて、進食す」とあり、この時島には水がなかったが、神に祈って泉を得たので水嶋と名付けたという。葦北郡の名は養老七年(七二三)の平城宮出土木簡にある。「和名抄」の葦北郡には葦北・
〔原始・古代〕
原始時代の遺跡は発見例がきわめて少なく、河口近くや山間の小盆地に遺物散布地などが確認されているが、発掘された例は少ない。芦北町
磐井の反乱などもあってその後対朝鮮関係は緊張し、任那日本府の滅亡後、百済にあって外交折衝をしていた葦北出身の高官達率日羅が呼返されている。「日本書紀」敏達天皇一二年条に「火葦北国造刑部靫部阿利斯登の子、臣、達率日羅、天皇の召すと聞きたまへて、恐り畏みて来朝り」とあり、百済討伐の議に参加したが、そのため百済の刺客に殺された。刺客と日羅の屍は葦北君へ引渡された。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報