日本歴史地名大系 「佐沢村」の解説 佐沢村さざわむら 山形県:東置賜郡高畠町佐沢村[現在地名]高畠町佐沢馬頭(ばとう)村の南、天王(てんのう)川(梓川)支流土合(どあい)川流域にあり、米沢城下―高畑(たかはた)を結ぶ街道のほぼ中間に位置する。明徳年間(一三九〇―九四)後藤肥前の館があったと伝え、永禄年間(一五五八―七〇)には二宮恒宗が館を構え、現在の館(たて)の内(うち)がこれにあたるという。永正一八年(一五二一)四月二日伊達稙宗が資福(しふく)寺に宛てた安堵状(伊達正統世次考)に「屋代荘佐沢郷」とみえ、大永五年(一五二五)一一月一一日稙宗は「なか井やしろの内、さゝハの郷内いつみ在家」および「やしろさゝハのかうの内、たうき在家一宇、山はたけのこさす」を「田手いはミの太方」に安堵している(「伊達稙宗安堵状案」伊達家文書)。天文七年(一五三八)の段銭古帳によれば「さゝハ」の段銭は一〇貫六〇〇文。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by